AAR/ターヒル家は傷つかない

シャバーズ王は先王の長男で、先王の11人の子供達のなかでもっとも気質が父に似ていると言われた。

先王はシャバーズが成人してまもなく彼を大いに信任し、ホラーサーン公の地位を与えて後継者としたとされる。

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彼の治世において特筆すべき点はない。理由は二つある。
まず一つ目は、彼は先王の政策を概ね引き継ぎ、彼の独創性を政治に活かさなかったからである。
偉大なる父アボルハサンへの家臣たちの支持は崇拝の域にまで達しており、アボルハサンの政治路線をいたずらに変えることに反対するのは明白であった。

二つ目は、彼が即位6年でこの世を去ったからである。彼は即位時51歳であり、彼自身長くこの国を支配できるとは思っていなかった。
彼が政治的創意工夫を全く表へ出さなかったのも、これが影響しているのかもしれない。

彼は即位してから4年後の1011年、サッファール朝の首都マクラン伯領を奪取。

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サッファール朝はこの時点で西北インドのヒンドゥー教勢力に対抗する力を失っており、インドにおける最後のイスラム教地域ガンダーラ公領もまもなく失陥することになる(ウマイヤ朝期から存在する西北インドのイスラム政権Habbari*1王国は、988年にヒンドゥー教勢力によって滅亡している)。

そして1013年、シャバーズ王は病死。57歳であった。

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彼の長男ナヴィドは事故死していたため、10歳の孫ファト(のち敬虔王と呼ばれる)がペルシャ王及びメソポタミア王を継承した。

シャバーズは若いころに誤って親類を殺している。
そのために人生で多くの軽蔑を受け、退廃的態度に至ったこともあったが、父アボルハサンの説得によって立ち直ったという。
彼はその後宗教的情熱に燃えた政治をホラーサーンで行い、また教育を自ら受け持った孫ファトに対しても熱心に神への献身を説いた。

このことは1034年、カトリック=オーソドックス合同十字軍という歴史的大事件に襲われたファト王の大きな精神的支えとなった。

第六回 ファトの治世?


*1 また読み方分かりません・・・知ってる方いたら教えて下さい

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Last-modified: 2020-09-11 (金) 12:30:22