ユサールの馬蹄記

聖冠王時代(2) ~ 果て無き内乱

内乱前夜

Istvánは長らく続いた体調不良の果てに、遂に息を引き取ります。10年前に起こし、そして失敗した叛乱の痛手から早くも立ち直ったクロアチア・セルビアの
領主たちは、復讐の時を今か今かと待ち受けていました。彼らを押しとどめていたのは唯一つ、叛乱を木っ端微塵に打ち砕いたIstvánの存在だけでした。
そして、そのIstvánはもうこの世の人ではありません。それでも歴史家の中には、即位直後のこの時期にPéterが積極的な行動をとっていれば、あるいはその後の叛乱も防げた可能性があると主張する者もいます。
しかしPéterにはその能力はありませんでした。彼もまた現実を直視することに耐えられず、現状維持にのみ努める人間でした。

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1063年3月、教皇MarinusⅡは第六次十字軍を提唱します。目標は東方、リトアニア大公国です。

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かの異教徒はÁrpád一族の治めるポーランドと接するため、当然宗家当主たるPéterも参戦を要請されます。Péter自身は乗り気でした。
しかし国境ではルテニアとの戦争が進行中、加えて国内も爆発寸前の状態です。とても遠征できる状態にありませんでした。
この十字軍は1065年に成功、リトアニア大公Viestursはカトリックへの改宗を表明します。

同年7月、ヴォルニア地方の割譲をもってルテニアとの戦争は勝利に終わります。

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Péterはこの地もガリチア公Józsefの下に預けます。彼をルテニア王へと押し上げようとした亡き父Istvánの遺志に従ったものでした。

だがこれで平和になったとは、誰も思ってはいませんでした。ルテニアとの戦争が終わり収集されていた軍は解散、諸侯は自らの領地に帰ります。
それは、新たな戦争の始まりをも意味していました。

『大内乱』

ルテニアとの戦争終結からわずか一週間後、Trencin伯Józsefを筆頭にした一派がPéterの伯父Árva伯Szilveszterこそハンガリーの正統継承者であると主張、
Péterに譲位を要求する最後通帳を突きつけます。無論、Péterはこれを拒否。

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ハンガリー王国は内乱へと突入しました。

檄文に促され、次々と諸侯が決起します。過日の恨みを晴らさんと、クロアチア公・ヴィディン公はもとより、自治を認められたばかりのダルマチア共和国とディオクレア共和国も
反乱側にたちます。更に、前回は王の側で戦ったモエシア・ワラキア・モルダヴィアの諸侯も今度は反乱側に付きました。
王側に残ったのは直轄領と領主が王に囚われている二・三の諸侯領、征服直後で守備隊もろくに整ってないガリチア公領、それに王弟Andrásのラシュカ公領だけでした。

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Péterにとって苦しい戦いが続きます。度々の会戦で勝利は得ますが、叛乱軍は軍勢を小分けにしてPéter側の領地を包囲・占領し、それが叶わぬ場合は一帯を焼き討ちにするゲリラ戦術を繰り広げます。
絶え間ない戦いに両軍は疲弊。特にPéterの軍はÁrpád以来武威を誇った近衛軍*1が壊滅、残存兵はもう一つの常備軍である騎馬隊に吸収されます。
しかし、Péterは粘り強く戦い続けます。そんなPéterを支えようと将兵も奮起、Berestyで敵の主力を捕捉、殲滅します。

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長く辛い戦いも新たな局面が見えた、その時でした。

不用意な一撃

その日、王都Pestに敵軍が向かっているとの報が入りました。
王都が包囲されることを恐れたPéterは、慌てて敵軍の偵察を命じます。
調べてみると、敵軍の数は500名ほど。クロアチア女公Saroltの紋章を掲げているそうです。
予想よりも小勢であったことが、Péterを強気にさせます。Pestに残る兵は守備隊を除いて1200ほど。二倍以上の兵数差です。
加えてPéterはこれまで戦はすべて臣下に任せ、自ら指揮をとったことはありませんでした。
Árpád家は元来武門の家。Péterは武門の家に生まれながら戦場に出たことのないことを過剰に意識していました。
Péterは1200の兵を自ら率いて出撃し、敵軍を打ち破ると決めます。意味のないことでした。500人では要塞化された都市相手には焼き討ちなどの嫌がらせ程度しかできません。

Péter軍とSarolt軍はPestの城壁から10kmの地点で対峙します。
本来なら弓兵による牽制、歩兵による漸進、騎兵による迂回突撃など様々な戦法があります。
しかし、軍の指揮はおろか戦場初体験のPéterにとってできることは唯一つ、自ら先頭に立って遮二無二突進することだけでした。

兵数の差、またSarolt軍の士気の低さから、戦いはPéterの勝利に終わります。しかし、その後は惨憺たる有り様でした。
勝利に沸いたPéter軍でしたが、司令官であるPéter自身の姿が見えません。将なき軍隊はたちまち悪質な暴力集団へと変わり、
兵たちは死体から金品を剥ぎ取るのに熱中。遂には戦利品を取り合って味方同士で刃傷沙汰まで起こします。
そんな折、一人の目敏い兵士が折り重なって倒れる敵兵の遺体の中から、ひときわ豪華な指輪をつけた手が出ているのを見つけます。
さては名のある騎士かと思い、遺体をかき分けてはどかして、遂に指輪の手の主を引っ張りだしました。
兵士の予想通り、騎士は全身きらびやかな装備に覆われていました。兵士は欲深な笑顔を浮かべます。しかし次の瞬間、兵士は恐怖とともに絶叫しました。
騎士の頭上には王冠。傍らに落ちている盾には赤地に銀の四本縞が描かれています。
兵士自身は文字を解しなかったがゆえに気づきませんでしたが、盾の下部には次のような言葉が書かれていました。

『Péter Istvánfi Árpád 神の恩寵を受けて』

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Péterには子が無かったため、異母弟のラシュカ公Andrásが王位を継ぐこととなりました。
4年もの間続いた内戦はようやく勝利の道筋が見えたその瞬間、Péterの死によって全く予想の付かない状況へと変化していきます。
混迷は未だ終わりません。

ハンガリー王Péterは25歳で神の身許へ旅だった。クロアチア女公Saroltの軍勢との戦いの中命を落とした。王András万歳!

Andrásの治世へと続く 聖冠王時代(3) ~ 混迷の収拾者


*1 イベント兵

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Last-modified: 2015-01-11 (日) 21:56:17