AAR/コーカサスで頑張るグルジア

現状確認

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1066年のグルジア王国と周辺。東はことごとく異教徒がひしめいている。

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主人公となるバグラト家のダヴィト2世。タオとグリアの2領を支配し、カルトリ公を務めている。
軍事的才能が光る。問題はグルジア人ではなく、アラニア人文化であること。

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グルジア王とダヴィト2世以外で伯領を持つのはアグサルタンのみ。
同じくバグラト家出身。平々凡々である。

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現在のグルジア王、バグラト4世。外交と軍事に秀でている。
勇気と公正さに溢れた良い君主である。

王になる為に

ダヴィト2世には秘めた野心があった。グルジア王国をコーカサス一帯に広げ、繫栄させることだった。
そして、そのためには自らが王になる必要があると、そう思っていた。

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グルジア王国の継承法は世襲であり、男子の長子に受け継がれるのでダヴィトに可能性はない

いずれ王位を請求し、武力で奪い取る必要があった。
ダヴィト2世は盤石な地盤を固めるため、まずは東ローマ帝国との同盟を構築したのだった。

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時のローマ皇帝コンスタンティノス10世。セルジューク朝のジハードを受けているが、動員可能数はキリスト教世界では筆頭。

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彼の娘アンナと婚約を結び、同盟を成立。
セルジュークとの戦いに巻き込まれるのは恐ろしいが、その力は余りある魅力である。

征服

東ローマ帝国皇帝との密接な関係を得たダヴィト2世は次に、領土を広げることに目を向けた。
まずはカルトリを自らの手に取り戻さねばならない。
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ダヴィト2世はカルトリ伯であるが、肝心のカルトリは異教徒に支配されている。
彼の領地に隣接するロリ伯領も同じく獲得せんと目星をつけていた。

1067年4月、ダヴィト2世はカルトリのイスラム教領主を武力で屈服させ、支配下に置いた。(スクリーンショット取り忘れ)
彼は領主を追い出さず、そのまま現地の支配を続けさせることにした。
なぜなら、翌年の9月にはロリ伯領へ兵を進め、カルトリの管理に手を焼く暇がなかったからだ。

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戦争は1年も待たずに終わった。たった一伯領に手を焼くダヴィト2世ではなかった。

難なく領地を増やしたダヴィト2世だったが、その間災難にも見舞われた。
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戦争が始まって一週間後、息子のアトムが奇妙な発疹と高熱にうなされる。死の淵を彷徨うが、宮廷医によって何なきを得る。

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自らにも発疹が。アトムから移ったか……?

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悪化し、麻疹に侵される。イスラム教徒は神の罰だと謗った。

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半年後、回復するも次々襲った病魔によってか心を病む。
ダヴィト2世は生涯これに悩まされた。

静かな生活

直轄領として手に入れたロリ、そして支配下に置いたカルトリの2領を得たダヴィト2世は、その後数年を落ち着いて過ごした。

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大工たちが精を出して活発に仕事をこなしているらしい。
ダヴィト2世は民間への援助を惜しまない領主だった。

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彼は詩をこよなく愛した。
書物としては残らなかったが、鳥と吟遊詩人たちはダヴィトの紡いだ詩をよく覚えている。それで充分だったのだ。

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タオの宮廷にはダヴィト2世自身が設計した新たな庭園が作られた。
そこでは、ストレスに疲れた彼が集まる鳥たちに詩を吟じる姿がよく見られたらしい。

絹への夢

ダヴィト2世は自らの領地に接するドウィン伯領に以前から目を付けていた。
なぜならここは、ヨーロッパとインド、ひいてはそのさらに東の世界と繋がる交易路「絹の道」が通っていたからだ。
その魅力は、彼に戦いを決意させるのに十分すぎるものだった。

1073年6月、ダヴィト2世は3000の兵を率いてドウィンへ兵を進める。
同年10月31日、エレブニという街近くで大勝。エレブニ市長も捕縛する。
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3倍を超えるキルレシオ

年も明け、いまだ抵抗するドウィンの占領に掛かっていたある日の午後、家令が一つ提案を持ってきた。

「公よ。異国の品は高値で取引され、その交易路を持つこの町は繁栄しております。
私はそんなドウィンの賑わいを見て思いついたのです。我らも新たに他国につながる交易路を開拓する必要があると。
その為に一団を派遣したいのです。公には組織するための資金を、どうか。少々高くつきますが、成功すればそれ以上の見返りが得られるでしょう」

ダヴィト2世は少し思い悩んで、返事をした。

「よし、金は出そう。将来のため、グルジアのためなら惜しむべからずだ」

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交易路開拓のための一団を派遣すると聞いて、聖職者たちも参加を求めて宮廷へ押し寄せた。
もし参加させてもらえるならば、教会の資金を捻出しましょうという申し出を、ダヴィト2世は快く引き受けた。
どうせ異国へ行くのなら布教も兼ねるのが良い。ダヴィト2世は敬虔な正教徒であった。

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金は力。新たな交易路のため。

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1074年4月、雪が解けたころ、コーカサスの山を越えてゆく。
いざ、異国の地へ!

6月17日、たどり着いたのはボルガール人の治める北の街ペルミ。
迎え入れてくれた領主との晩餐、家令が粗相をして怒らせてしまったが、ダヴィト2世は家令を庇ったのだった。

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家令なら手づかみで荒っぽい食事はやめて欲しい。

その後、廷臣を庇ったとはいえ恥をかいたことがきっかけになったのか、
それとも彼を蝕むストレスのせいだったのか、家臣にひどい仕打ちをしてしまう。
だが、その行為への恥じらいは薄い。まさか、これが本当の自分なのか?

ダヴィト2世は思い悩む。
「おお、主よ!私が何をしでかしたのでしょう!どうか、お許しを!」

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Kindは得られなかった。

北の大地に来ても領主は仕事をしなければならない。
その量に押しつぶされそうになったダヴィト2世を親類であるアグサルタンに助けてもらう。
同じ領主どうし、分かり合える部分は多い。
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手持ち無沙汰に街を歩いていると、なんと連れてきた聖職者が原始信仰について地元の貴族と口論しているではないか!
これは不味いことになるかもしれない……。

しかし、考えて見れば、異教徒にはこういうことも必要なのだ。うまくいけば正しい信仰に至れるかもしれない。
ダヴィト2世はそう考えて、特にこれと言ったこともしなかった。彼はやはり、敬虔な正教徒であった。
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滞在して一か月ほど経った頃、ようやく交易についての意見が一致した。
これで北方の遊牧民と東ローマ帝国間の交易が、グルジアを介してより活発になるだろう。
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あれだけの無礼を水に流してくれる相手の領主は現実的で、かつ人がいい。

新しい交易路ができ、さっそく商人の一団が行き交った。新しい品物が流れ込み、人が集まり、更なる利益を生んでいく。
国の繁栄を長く支えてくれそうだと、久々の故郷でダヴィト2世は思った。
人々は経済に長けた公の先見の明と決断を尊敬するだろう。
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物凄い成果だ!向こう30年、この交易路でよりグルジアは栄えてゆく。

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交易路設立のための派遣を提案した家令が、金を無心しにきた。お前の粗相で苦労したのだが……。
とはいえ、よく働いてくれたのでいくらか下賜してやる。

陰謀、金、暗殺

カルトリ伯を務めるイスラム教徒のファルドゥンはいまだ反抗的であり、改宗する見込みもなかった。
ダヴィト2世自身もこの男を心底嫌っていたし、キリスト教国であるグルジアにイスラム教徒の支配者をのさばらせておくことは、やはり看過できなかった。

武力で無理矢理追い出すのも不可能ではなかったが、彼はそうしなかった。
そんなことをするよりも、よほど正当に伯位を得ることができる方法を知っていた。

全ての後継者を始末してしまえば、最後には自分に継承されるのである。
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撮り損ねていたので後から撮ったもの。武に優れていたし、野望持ちの人間を置いてはおけない。

謀略を企て、多くの賛同者を集めた。買収したものも多く、その金は北方との交易路から生まれたものだった。

1075年1月、ファルドゥンは晩餐でグルジアのワインを飲んだと思えば、それからしばらくして頓死してしまったそうだ。
他殺を疑われたが、ついぞ分からなかったようである。
「どうやら彼の体質にグルジアワインは合わなかったのだな。……ビールにでも祝福しておこう」と、ダヴィト2世は言った。

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いったい誰の仕業であろうか。

同年4月、父よりカルトリ伯を継いだばかりの15歳の青年スラハンが、城の胸墻から飛び降りて死んでしまったようである。
一瞬で、おそらく痛みを感じることなく終わったであろう。
伯としての重圧に耐えらずの自殺と、周囲には受け取られた。
「彼はまだ飛び方を習ってはおらんだか。……今日の昼食は鶏であろうよ」とダヴィト2世は言った。

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不幸は続くもの……。

8月、父と兄を無くし3歳にして伯位を継いだパユマンは、買収されたメイドによって枕で窒息死した。
これでことなく領地が手に入るはずだったが、悪いことにメイドが掴まり白状してしまう。
首謀者の名前が露見したことで、ダヴィト2世が周囲から殺人者として見られることは確実だった。

「うまいぞ。だが……これはまずいな」とダヴィト2世は言った。
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なんだか一番かわいそうではある。

とはいえ、家計が断絶し継承者が居なくなったことで、カルトリ伯位はダヴィト2世に与えられた。
遂にカルトリ公として胸を張れるようになったと言えよう。

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非常に平和的な方法で領地を得る。
実に人間らしいといえる。

それから

カルトリ伯位を得るのと同時期に、ドウィンも獲得し4領を直轄領として支配することに成功したダヴィト2世。

交易によってうず高く増えてゆく金貨の山を、今度は領地の改善につぎ込んでいった。
各地に騎馬訓練場や練兵場を作り軍事改革を行うかたわらで、民間にも支援を行った。

彼の代でカルトリ公はグルジア王国内でもっとも力を持つ封建領主となり、それは国王をも凌ぐようになった。


しかし、そうした改革や事業が拡大していけばいくほど、彼の仕事は増えに増えてゆき、
そのうえ、ここ数年前から彼を苦しめてきたストレスは限界を迎えようとしていた。

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極度の疲労とストレスから、遂にうつ状態に。
豚が病気になっただの、それが隣人のせいだの、領主はそこまで見てやらねばならんらしい。



一旦、仕事から数日離れて好きなことをしてみれば、人生そう悲観したものでもないと思えるように。

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その数日、彼は宮廷の庭園で植物の手入れをし、そこで北の異国での思い出を言葉に乗せては鳥に歌っていたそうだ。


ダヴィト2世のかたわらには、愛する息子アトムが常に居り、色々なことを話して聞かせた。

領主としての生き方、処世術、財産管理、廷臣との付き合い、宗教、古い伝説、自作の新しい詩……。
11歳のいまだ幼い息子へ、その愛を熱心に伝え、少しでも彼を記憶に残そうとしたダヴィト2世には、自分の運命が見えていたのかもしれない。






1076年11月20日、財と武勇に優れた名君がこの世を去った。
緑と詩を愛し、息子を愛し、信仰を愛し、国を愛したダヴィト2世は、おそらく誰しもが褒め称えるであろう。
未来を渇望し、渇望された彼の、その短すぎる人生。
遂げられなかった王位への夢は、息子アトムへと受け継がれていく。


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Last-modified: 2017-05-20 (土) 02:32:37 (129d)