歴史・背景
ヘンリー2世。1133-1189。
生涯 †
イギリス、プランタジネット朝初代のイングランド王(在位1154-89)。
父はアンジュー伯。母はイングランド王女。
1150年、父からノルマンディー公領を受け、翌51年に父の死によりアンジュー伯を継承。
1152年、アキテーヌ公女と結婚。ポアトゥ、ギュイエンヌ、ガスコーニュを得、のちにフランスと戦って得たブルターニュをあわせてフランスの西半分を手中に収めた。
1154年、イングランド王に21歳で即位する。
財政の整備、巡回裁判所の拡充、陪審制度及び傭兵、民兵による国王直属軍の創設など、国内秩序の確立と王権の強化につとめた。
また対外的にはアイルランド(1171)、ウェールズ(1172)、スコットランド(1173)を征討。
教会対策の面ではクラレンドン法を制定して教会裁判権の制限を企図してトマス・ベケット?と対立、これを殺害させたということで非難を招いた。
12世紀後半の西ヨーロッパの君主として最も有力、英明な人物の一人と評価されるが、晩年はフランスとの戦争や相続をめぐる王子たちの反乱に直面し、失意のうちに死んだ。
(参考:ブリタニカ国際大百科事典)
SS †
いわゆる「アンジュー帝国」。
これも謎のひと。通称「元帥」さん。詳細知っている方があれば情報希望。
コメント †
- 「12世紀後半の西ヨーロッパの君主として最も有力、英明な人物の一人と評価される」とブリタニカ百科辞典に評価されるヘンリー2世ですが、パラドは性格に欠点のある野心家と表現しています(無能ではない)。アンジュー帝国は12世紀のロマン。 -- C?
- マーシャル卿ではないですか?英語読めないのでわかりませんが --
- wikiでちらっと見ましたが、マーシャル卿の初代はウィリアムさんとなっていました。 --
- 調べたらその元帥さんの弟かマーシャル卿でしたww --
- wikiには調べましたが載っていませんでした --
- 有難うございました。 -- C?
- wikiでは初代マーシャル卿ウィリアム・マーシャルの父はジョンとなっていますね。間違えたのかな?けっこう有名人のはずですけどね --
- 初代ペンブルック伯ウィリアム・マーシャルの父はジョン・マーシャル(1105頃 – 1165)で,彼もまたマーシャルに(その父親ギルバートの地位を継いで)任じられているので間違っていないはずです。このひとですね。http://en.wikipedia.org/wiki/John_Marshal_(Earl_Marshal) --
- SSは1184年くらいのものなのでちょっと時期がずれてますが、そのひとみたいですね。ルナティックなのは何か理由があるのかもしれません。 -- C?
- だとしたら,上述のジョン・マーシャルの(二度目の結婚による)長男で同名のジョン (1145-1194、上述のウィリアムの兄)のほうでしょうね。>SSは1184年。彼もまた父親の地位を継いで,その死までマーシャルを務めています。 --
- あなたすごいですね(驚嘆)。 -- C?
- ヘンリー2世凡庸だな --