AAR/アイルランドの伯から

辣腕なるマトゥダン

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今プレイのPCの中で最高のDiplomacyを誇った「辣腕王」マトゥダンと妻マウド
イングランド王女マウドはカペーの血も継いでいるため、イングランドとフランスの両王位への請求権を持つ。

王として即位する前からマトゥダンは父王キャスニオの宰相を若くから務め、その敏腕ぶりは内外に知られていた。
父の代でのアイルランドの拡大は自身の力あってこそと自負していたし、周囲もそれを認めていた。
しかし、父キャスニオがかなりの長寿であったので、末子相続ながら47歳での即位となった。
自身の辣腕を振るえる時間はあと何年あるのか、マトゥダンは即位直後から常に焦っていた。

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2人目の妻であるマウドとの仲は良好で、3人の子をもうけた。
前妻フィンゴラとの間にも男児と女児が1人ずついたが、アルバニー簒奪に関わった男児のファーイクは若くして病死してしまっていた。

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目下後継者とされているのは三男のギラ=コルイムである。
人当たりが良いのは長所ではあるのだが…

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成人した途端に「メイド孕ませちゃったw」

いかんせん後継者としての自覚に欠けているのではないか?というのがマトゥダンの悩みの種であった。

スコットランドの食べ残し

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「王とはコンホバルのことである。アソールやアーガイルのことではない。」

スコットランド王位を自らが握っていることで、父の治世の間と違いスコットランドでの戦いに苦労することはなくなった。
これまでの戦いも常に不敗だったが、そもそも戦いを起こす大義名分の用意と、領地を奪った後の停戦とで時間が取られるのが問題だった。
王位を得たことで全てのスコットランド諸侯に臣従を求められる恒久的な口実を得たし、従わない相手に対して領地を取り上げるために兵を送ることが容易にできるようになった。
もっとも、異文化の王朝を自らの主と認めるスコットランドの諸侯は1人もいなかったので、武力で少しずつコンホバルの支配を広げていったのはキャスニオ以前と変わらなかったが。
マトゥダンは1196年に即位して以来、1197年にマン島、1198年にダンバー、1201年にモーレイと、父の代で手が出せなかった州を次々に刈り取っていった。

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アイルランド中部のミーズ公爵フォラクタ

翌1202年は王国内部の反逆者を片付ける年となった。
古くからコンホバルにミーズ公爵として従ってきたマイケル家の現公爵「無思慮公」フォラクタがアイルランド王座の請求権の捏造を企てていることが密偵長から知らされる。
マイケル家は幾度も宰相や元帥、家令を輩出した名家である。
マトゥダンは直ちにフォラクタを捕縛し爵位を取り上げ、ミーズ公にはフォラクタの長男のラーダキャンを据えた。

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スコットランド南西部のギャロウェイ公爵ケイレーン3世
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次にストラスクライド家のギャロウェイ公爵ケイレーン3世もスコットランド王位に就かんと裏で動いていることが発覚。
こちらの捕縛には失敗し、ケイレーン3世はギャロウェイ公爵領で4500の兵を挙げ抵抗する。
マトゥダンは直ちに討伐を命じ、9300の兵でこれを攻撃、降伏させる。
ケイレーン3世からも全ての領地を取り上げ、代わりに新たなアイルランド人を取り立てて1州ずつ分け与えた。

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ギャロウェイ公には同族のロフランという男に与えられた。
血筋としてはマトゥダンの兄アーロンの孫にあたる人物で、私生児として生まれたが故にコンホバル性を名乗っていた。
スコットランドの諸侯は異国人であるマトゥダンに対して強く反発していたので、将来的にスコットランドの公爵を全てアイルランド人に担わせて統治を容易にしようと目論んだのである。

即位して9年目の1204年にはイングランドの支配領域に接するカンバーランドを併合。
これでグレートブリテン島内での勢力はアイルランド=スコットランド王、スコットランド北部の2公爵、ウェールズの1公爵、そしてイングランド王のみとなった。

アイリッシュ・コンクエスト

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1205年、マトゥダンが王に即位して10年目、ブリテン諸島はアイルランド=スコットランドとイングランドとでほぼ二分されていた。
齢60に迫ったマトゥダンは当初、スコットランドを完全に平定し、末子ギラ=コルイムへの政権移譲を整理することを考えていたが、大きな転機が訪れる。
ローマ教皇からイングランド王国の征服を許されたのである。

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イングランドは教会の叙任権をローマ教皇に委ねておらず自らが手にしており、教皇と対立していた。
先のイングランド王は教皇から破門されており、それを誅する名目で神聖ローマ帝国の攻撃を受けていたほどである。
そんな中、イングランド中部から北部にかけてを治めていたランカスター公が反乱を起こす。

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マトゥダンは先だって臣下内での主だった反乱分子も排除しており、アイルランド=スコットランド両王国の支配は成熟していた。
この時期にイングランド内で起こったこの反乱をマトゥダンは大きなチャンスとみなし、ローマ教皇に対してイングランド征服の正当性を保証するよう求めていたのであった。

マトゥダンは即位直後から婚姻関係を結んでいた神聖ローマ帝国と同盟を結び援軍を乞うが、帝国軍の到着を待たずイングランドに攻め入る。
勝つより先に自身の死が先に訪れれば、その瞬間に征服の正当性も失われてしまうからだ。
そして、自分の後継者が今の自分と同程度の支配体制を維持できる確信も持てていなかった。
マトゥダンにとって人生最大の大勝負だったのである。

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アイルランド=スコットランド動員兵力1万8千、反乱で若干力を削がれたイングランドの動員兵力1万3千
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神聖ローマ帝国の動員兵力3万5千。神聖ローマ帝国の一部でも援軍を得られれば十分勝機はある…

1206年3月、セントジョージ海峡を渡ってきたアイルランド軍1万3千は、ランカスター公の領地バートンで反乱を鎮圧していたイングランド軍1万3千と接触する。

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バートンの戦い

当初はアイルランド軍が若干優勢かと思われたが、中央・右翼が壊滅し劣勢に陥る。
残った左翼が踏ん張り、辛うじてイングランドの各隊を撤退させるまで押し返すが、アイルランドもイングランドと同じ5千の兵を失う大損害を被ってしまう。

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スキップトンの戦い
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右翼で敵の突撃戦術に対して固守戦術がカウンターヒットして大損害を与えている
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同年7月、アイルランドの残存軍9千はヨークのスキップトンを包囲し、川を盾にしてイングランド軍8千を迎撃する。
敵に渡河攻撃を強いることで優位に立ったこの戦いはアイルランドの圧勝に終わり、イングランド征服の大勢を決することとなった。

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更に撤退を続けるイングランド軍をハートフォード、コルチェスターで追撃し、イングランドの兵を2千まで減らすことに成功。
この後は神聖ローマ帝国軍2万4千と共にイングランドの各領地の制圧に専念する。
野戦で兵力の大部分を失ったイングランド王セルウッドは1208年に降伏した。

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イングランド征服を成したマトゥダンはイングランド王に即位し、3つ目の冠を戴くこととなった。
これによりブリテン諸島の大部分を支配することになったマトゥダンは、全土を支配する帝国の設立と、自らが皇帝として即位することを宣言する。

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皇帝の国は、かつてのローマの言葉でブリテン島を指したアルバという名で呼ばれることとなった
皇帝はいにしえの帝国を継ぐ者として国の名を誇示したのである。

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スコットランドをアイルランド文化で支配するとスコットランド王位もAlbaと改名されるので紛らわしい…
史実では島全体をラテン語やそこから派生した言語で'Albion''Alba'などの言葉で読んでいたようだが、次第に島の中の国を指す言葉としても使われるようになったらしい。
(英wikipediaで'Albion'のページなどを適当に翻訳して解釈)

1213年、皇帝に即位してから5年目、ウェールズ、スコットランドの独立諸侯が全て帝国に臣従し、ブリテン諸島は1つの政体のもとで完全に平定される。
アイルランドの小王による北部平定から始まった6代に渡る大事業は、150年の節目でようやく完遂したのである。

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その後

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マトゥダンはある夜、自身を側で長く支え続けてくれた妻マウドを誘い、肌を重ね合わせていた。
人として、帝として、成すべきことは全て成した。

「あとは天に迎えられるまで、この世の、ささやかな楽しみを。それくらいの褒美は、あってもいいと思うのだが…」

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選択肢のないイベントのボタンをクリックした瞬間「パンポロパン...♪」
'died in an accident'って…

「辣腕帝」アルバ帝国初代皇帝マトゥダンは、1215年の3月、宮殿の寝所から天に登った。
65歳の人生は、謀略と戦乱に満ちた一生であった。
彼が礎を作り上げた帝国は、その後長きに渡って2つの島を治め続けることになる。

余談1 Sanctioned Invasion(権威的侵略)

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他者の外交メニューから「Request Invasion」を選ぶと、対象者が支配する王国(帝国)に対して征服の大義名分を教皇から得るための申請をすることができます。
これによって得られる大義名分はSanctioned Invasion(権威的侵略)と呼ばれます。

申請を出すにはもともと対象の勢力への請求権をもっているか、対象の勢力よりも自身の勢力(勢力情報画面の'Realm size'の比較?)が小さい状態でなければいけません。
今回はアイルランドとスコットランドを足してもイングランドよりRealm sizeが小さかったのでこの条件はクリア。
さらに、対象者より自分の方が教皇からのopinionが相当に高くないといけません。
今回はイングランドが叙任権を'Free'に設定していて、更にマトゥダンが「十字軍」の特性を獲得、それに加えてFactionから免罪符を購入する、とあの手この手を尽くしてopinionを稼いでようやく申請が通りました。
参考までに、教皇からイングランド王に対してのopinionが-7で、教皇から自分に対してのopinionを90代まで上げてようやく許可が出ました。
おそらく都合よく使える場面はそう簡単には巡ってこないかと思います。

その分、勝利した際の効果は凄まじく、目標の王位(帝位)の獲得はもちろん、戦争中に制圧した伯爵領全てが自分の直轄地になるというルールになっています。
これを利用すれば、伯領と公爵位の関係を整理しやすいように自分で一旦一元管理できますし、他者に伯領を分け与えるにしても、自分の文化と同じ人間を新しく据えまくることで、新たに傘下につく領主のopinionを高い状態に保つことも容易なはずです。
(通常の戦争で王位を得ても、現地の諸侯からのopinionは大抵真っ赤なはず)

今回はブリタニア帝国設立でゲームエンドと決めていたので、戦争中の領地の占領はほとんど行いませんでしたが、戦費調達とPC領主の寿命に問題がなさそうなら、相手を降伏させる前にじっくり制圧していったほうがいいでしょう。

余談2 王位の破棄

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帝位を得ると王位がなくても広い範囲の公や伯に対する慣習的支配の名目を得ることができるので、王位の存在は相続先の分裂や、派閥の発生、他者による請求権の捏造を招いたりするなど、デメリットの方がずっと目立ってきます。
巨大な帝国になると、他人を王として封臣に据えることで封臣数の制限を超えないように管理する必要も出てくるようですが、ブリタニア帝国レベルの領地数だと中央集権度を高く保ったままで王位を存在させない領地管理も十分可能かと思います。
称号の破棄は一時的なPrestigeの低下、該当爵位の慣習的領域内の諸侯からのopinion低下も招きますが、長期的に見れば称号が存在しない方が安全に統治できるという場面も沢山あるでしょう。

おまけ

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観戦モードで時間を進めてその後のアルバ帝国も眺めてました。
かつての放蕩息子も見違えるように逞しく。
フランスと同盟を組んで神聖ローマ帝国に殴りこみに行ってたり、十字軍でエルサレムまで行ったり、王権低下の反乱を起こされたりしてましたが、なんとか帝国は維持してくれました。

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最終的な動員兵力は3万4千程度で世界3位。
神聖ローマ帝国やビサンツ帝国に肩を並べることができました。
ファーティマ朝がなんか化け物みたいな規模になってる…。

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プレイ1代目からの各代での継承時の領土

1066年のアイルランドの伯爵プレイは同勢力の伯ばかりのところから始まり、それを統一して王国を築いた後はやはり王国のスコットランドやイングランド、と対決する相手のレベルも程々に収まります。
何より大陸ヨーロッパとは海という分厚い防壁で隔てられているので、余所者に攻め込まれることも早々なさそうです。
ブリテン諸島内での戦いにずっと専念できるのはチュートリアルとして最適でしたし、初心者向けとして推されている理由を強く実感しました。

中世欧州の歴史も大して知らない上に、パラドゲーを遊んだのもAARを書いたのも初めてでしたが、めっちゃ楽しかったです。
腹上死ENDにはびっくりしましたが…。
次はDLC入れてフランス臣下スタートのイベリア半島統一とかやろうと思ってます。

年表

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添付ファイル: file年表2.png 7件 [詳細] fileck2_1206スキップトンの戦い結果.jpg 7件 [詳細] fileck2_1205ユーレンフリード2-min.jpg 10件 [詳細] file年表.png 7件 [詳細] fileck2_終了後各当主死亡時縮小-min.jpg 10件 [詳細] fileck2_終了時地図2-min.jpg 9件 [詳細] fileck2_終了時地図1-min.jpg 11件 [詳細] fileck2_終了時レーダー-min.jpg 9件 [詳細] fileck2_終了後ギラ=コルイム-min.jpg 8件 [詳細] fileck2_終了後称号破棄.jpg 12件 [詳細] fileck2_終了後Request-min.jpg 8件 [詳細] fileck2_1215継承-min.jpg 7件 [詳細] fileck2_1215死亡イベント.jpg 8件 [詳細] fileck2_1213統一.jpg 6件 [詳細] fileck2_1208アルバ帝国地図-min.jpg 9件 [詳細] fileck2_1208アルバ帝国設立-min.jpg 9件 [詳細] fileck2_1208勝利-min.jpg 8件 [詳細] fileck2_1207制圧マップ-min.jpg 7件 [詳細] fileck2_1206スキップトンクリティカル.jpg 7件 [詳細] fileck2_1206スキップトンの戦い-min.jpg 6件 [詳細] fileck2_1206バートンの戦い結果.jpg 5件 [詳細] fileck2_1206バートンの戦い-min.jpg 7件 [詳細] fileck2_1205ユーレンフリード-min.jpg 6件 [詳細] fileck2_1205マトゥダン+サーラッド-min.jpg 6件 [詳細] fileck2_1205反乱地図-min.jpg 7件 [詳細] fileck2_1205征服許可.jpg 7件 [詳細] fileck2_1205反乱前地図-min.jpg 7件 [詳細] fileck2_1204ロフラン家系図-min.jpg 8件 [詳細] fileck2_1204ロフラン.jpg 6件 [詳細] fileck2_1202ケイレーン反乱地図-min.jpg 9件 [詳細] fileck2_1202ケイレーン3世-min.jpg 7件 [詳細] fileck2_1202フォラクタ地図-min.jpg 7件 [詳細] fileck2_1202フォラクタ-min.jpg 6件 [詳細] fileck2_1201スコットランド平定図-min.jpg 9件 [詳細] fileck2_1204ギラ・コルイムイベント.jpg 8件 [詳細] fileck2_1204ギラ・コルイム成人.jpg 6件 [詳細] fileck2_1196家系図.jpg 9件 [詳細] fileck2_1196マトゥダン+マウド-min.jpg 8件 [詳細]

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Last-modified: 2016-11-23 (水) 02:11:29 (122d)