AAR/ギデオン家の人びと

主のつるぎ、ギデオンのつるぎ 前編

 こうしてギデオンと、彼と共にいた百人の者が、中更の初めに敵陣のはずれに行ってみると、ちょうど番兵を交代した時であったので、彼らはラッパを吹き、手に携えていたつぼを打ち砕いた。すなわち三組の者がラッパを吹き、つぼを打ち砕き、左の手にはたいまつをとり、右の手にはラッパを持ってそれを吹き、「主のためのつるぎ、ギデオンのためのつるぎ」と叫んだ。

士師記7:19-20

ギデオン・ギデオンとシッセイ

 ギデオン・ギデオンはまだ若く、ときにそれが野蛮なふるまいにおよぶことがあったとしても、力と勇気に満ちていた。迷信やまじないと区別がつかないこともあったが、あつい信仰心をもっていた。その日はかれの16歳の誕生日で、シミエンのすべてが正式にかれの支配に入る日であると同時に、あの女との結婚の日でもあった。
 「いつまで待たせるつもりだろう。あんたが髭をなでてるあいだ、あたしが蝿でも追ってると思ったかい」。シッセイはくすくす笑った。かの女の時間だけがまわりの20倍の速さで流れているかのようだったが、ギデオン・ギデオンはその忙しなさを、むしろ気に入っているのだった。かれはすばやく身じたくを整え、見慣れない化粧をほどこしたシッセイに向きなおった。いまごろ、ブウォロ・ブウォロがかたくるしい演説でもはじめているにちがいない。ふたりが城内の暗がりから天幕に向かおうというとき、遠くから歓声が聞こえてきた。特別に仕出された祝いのごちそう、12頭の牛のまる焼きに、シミエンの人びとがざわめいているのだった。

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ギデオン・ギデオンとシッセイ

 しあわせないく月かがすぎ、乾季が終わろうとしていた。そのころアビシニアは、王の熱心な信仰心のために、今度は南に殲滅すべき異教徒を見つけて襲いかかったが、ムスリムたちの抵抗は激しく、反対に国境沿いの城を攻め落とされつつあった。戦は風土病のように長びき、兵の損失は相当な数におよんでいるらしかった。
 日に日に悪くなっていくアビシニアの戦況が耳に入るたび、ギデオン・ギデオンは夢中になっていった。急になにかを計算しはじめて頭を抱えたり、元帥と遅くまで話しこんで目を腫らしたりした。夜中にぶつぶつ気味のわるいひとりごとを言いだしたときは、シッセイに寝室を叩きだされそうになった。そうして数週間がすぎたある日、かれは身震いをおぼえた。ついに時がきた。

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214569998_org.v1416408706.jpg 「なりません。そのようなことにおよべば、またあらたな火種を生むだけですぞ」

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214570018_org.v1416408729.jpg 「ブウォロ・ブウォロ。あなたは父上の死をなんとも思っていないというのだな?」

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214569998_org.v1416408706.jpg 「ギデオン様。われわれが"聖戦"などということばを使えば、この大地のすべてのものが喜んでわれわれを殺しにくるでしょう。それは決して対等な戦いにはなりますまい。どうかフィニアス様の死を無駄になさるな」

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214570018_org.v1416408729.jpg 「勇敢なものは、臆病ものが一生かかってやることを一瞬のうちに終わらせてしまう。よく見ておくことだ」

 ブウォロ・ブウォロは気落ちし、絶望し、死のうとさえ思ったが、長い歳月をかけてフィニアスとともに作りあげたこの国を放棄することなど、かれにはできなかった。いっぽう、シミエンの大ラビはこの決定を歓迎した。聖典の一節をひき、ギデオン・ギデオンを解放者にみたて、かれの勇気に注ぎ火をつづけたのは、この熱狂的な師だった。かれにいわせれば、いまや若い王は名前のとおり偉大な士師の生まれかわりというわけで、そのつるぎが古代のイスラエルのかわりにどこに突き立てられようと、そんなことはささいな問題に過ぎないのだった。
 さっそく、ギデオン・ギデオンは準備に取りかかった。まず、何年もまえの空気を封じこめたままでいる、あの地下の蔵を開け放たなければならなかった。

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ムスリムに押されるアビシニア

 なぜ勝てぬのだ。もっと兵を投入しろ。主はわれらとともにあるのではないのか。ええい、いまいましいムスリムめ。殺せ、殺しつくせ――こんなふうにアビシニア王が熱心に大臣へとつばを飛ばしているさなか、侍従の手によって一通の手紙が届けられた。

 アビシニアの王、ソロモンの名を騙る盗人よ。貴殿のごとく主のなんたるかを曲解し、あまつさえ誤った教えを広めつづける大罪人を野放しにしておくことはできぬ。アクスムを開放するつるぎは主のつるぎであり、またギデオンのつるぎである。これは正式な宣戦布告となるだろう。戦場でまみえるときを楽しみにしている。

シミエンの王、ギデオン・ギデオン

 アビシニア王は手紙を握りつぶし、狂ったユダヤどもをエチオピアの大地から抹殺するために、まず大臣を怒鳴りつけた。明朝、アクスムの城から放射状に、あらゆる方角へ早馬が駆けていった。

蛮勇

 まもなく傭兵たちが到着した。かれらの首領はぬき身のショテルをぶらさげたまま、勢いよくひざまずき、金が支払われるかぎりユダヤの王に忠誠を尽くすことを誓った。このよせ集めの大軍勢のほとんどの者がキリスト教徒だったが、とどのつまり、信仰はかれらの腹をいっぱいにしてはくれないのだった。
 ギデオン・ギデオンが傭兵を雇ったことが知れ渡ると、シッセイは激怒した。あの地下の金品をあてにして、傾きつつあるシミエンの暮らしぶりをどうにかする気でいたのだった。だが、どんなことばも夫を思いとどまらせることはできなかった。「すぐにこんな小銭では買えない土地が手に入るさ」。そういって軽がる馬にまたがると、おどろくべき手際のよさで兵をまとめて、シミエンを発った。

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エチオピアに安い傭兵は存在しない

 ギデオン・ギデオンが父の通ったあの山道を勇み足で進んでいるころ、シミエンへの包囲網は完成しつつあった。アクスムの城から放たれた一報は、あらたに7人の首長を"ユダヤ狩り"に迎えいれた。あるものは信仰心のために、あるものは武勲のために、あるものはアビシニアになかば脅迫されたためにーーしかし共通していたのは、この戦いは一方的な袋だたきに終わるだろうという予測と、おごったユダヤ教徒へのくみつくすことのできない憎悪だった。

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キリスト教徒の連合軍。こわい

 前方で一斉に土くれが跳びはねるのが見えた。ギデオン・ギデオンがその不思議な作用を見きわめようと目をこらしていると、すぐそばの騎兵が馬ごとくずれ落ちた。矢だ。かれはすばやく兵を散開させながら、かつてない胸の高なりを感じていた。ほんものの戦場や命のやりとりに?矢の応酬がおわると、歩兵たちがぶつかりあった。いまかれが馬上から貫いた戦士は、まだ恋も知らない少年だったかもしれない。だが、それがどうしたというのだろう。退きはじめた敵軍への追撃命令をかけるころ、かれはもう、自分におどろくべき戦争の才能があることを完全に発見していた。

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ついでに山岳戦のエキスパートに

 すぐに多くの勝利がもたらされた。アクスムの斥候が「アドワ近郊にシミエンの軍勢あり」と報告した5日後にはもう、となりの州でカラッサの部族連合が破られ、かれらが生き残りの兵をようやく数えきったころ、西の低地でゴンダールの本隊が壊滅しているという調子だった。シミエンの兵はエチオピア北部を吹き抜ける風で、そのエチオピアはギデオン・ギデオンを乗せて走る馬の脚の下にあった。

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総兵力では劣ったものの、指揮官の能力差、敵の1/3が重歩兵を持たない部族であったこと、なにより合流に時間差があったことが勝因

 居城にせまる敵軍を目にしたとき、アビシニア王はうろたえたにちがいない。人づてに聞かされる戦況はなにか空想上のもので、かれの生活、宮殿の大理石や琥珀色のワインとは切り離されているという感覚を、こんどばかりは改めなくてはならなかった。なんということだ。とどのつまり、われわれは烏合の衆だったのか!しかし、敗戦につぐ敗戦の責任をとらされた大臣は、送りこまれた前線で戦死し、いまや王の怒鳴り声を聞き届けるものはいなかった。

 城壁のむこうでも変化が起こりつつあった。傭兵たち――勝ち戦にわきたち、死体から奪った金品で財布を重くしていたはずのかれら――の士気が下がりはじめた。もうシミエンにはわずかな金しかなく、これ以上戦ったとしても、自分たちの取り分は望めないだろう。そんな噂が流れはじめていた。事実、財貨のほとんどはこの戦争のために使い果たされ、それでも宮殿にくもの巣ひとつ張っていないのは、シッセイひとりの手腕によってかろうじて維持されているためにすぎなかった。捕虜の交渉はブウォロ・ブウォロに任せられ、かれが破格の解放金をたずさえて戻ってくることもあったが、それもすぐに消えていった。

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軍資金はのこりわずか

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214569998_org.v1416408706.jpg 「傭兵たちを帰すしかありますまい。背中を刺されでもしたら大変なことになる」

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214570018_org.v1416408729.jpg 「だめだ。敵はすでに第二波を編成しつつある。シミエンの戦士たちだけで防げる数ではない」

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214569998_org.v1416408706.jpg 「では、どうするおつもりだ。われわれの国庫にはもはや黴と埃のほかにはなにもない。ああ、だから申し上げたのですぞ。元よりこのような戦など――」

http://art37.photozou.jp/pub/910/3136910/photo/214570018_org.v1416408729.jpg 「かんたんなことだ。城塞に突撃をかける」

子供たち

 まったく、男ってのは救いようがないね。うなされるようにつぶやくシッセイの汗を、呪医はていねいにふき取った。戦争がはじまってから、かの女がこの痛みと闘うのは三度目だった。一度目のときも、二度目のときも、それはなにか奇妙なもの、思いもよらない記憶を連れてくるのだった。いま部屋の暗がりからこちらを見ているのは、ずいぶん長いあいだ思い出すこともなかった顔だ。シッセイがまだよちよち歩きのころ、額に白い星のついた馬を探してきてやるといって、それっきり霧ぶかい山々に消えた男、かの女の父親。いったい、今ごろどうしたっていうんだい。いやに都合がいいね。父親の顔はおし黙ったままだった。教えてやろう。あんたみたいなのを、詐欺師っていうんだよ。かの女は皮肉っぽく笑おうとしたが、おそろしい力に下腹が開かれる感覚にさいなまれた。呪医がすばやく指示をだし、おどろいた産婆は湯気のたつ桶をひっくり返した。アズメラが産まれようとしていた。

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戦争のあいだ、二人の娘(トサゲ、ネガシ)と一人の息子(アズメラ)が産まれた

 その日の午後、宮殿のくずれた壁から流れだす富と栄華の腐れたにおいによって、アクスムの全領民は、何百年にもわたるソロモン朝の支配が終わったことを知った。

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つづく

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Last-modified: 2014-12-03 (水) 21:42:31 (1443d)