AAR/シチリアの晩祷

Philippe.jpg.jpg
武の面はからっきしだが、父親譲りの人望があった

慣れない戦

フィリップは考えていた。
ビザンツの1伯領を巡って争っても、休戦している間にビザンツが周囲から領土を切り取りいたちごっこになってしまうのではないかと。
このままでは自分の生きている間はともかく、怪しげな学者が時代の変革があると主張する15世紀半ばまで、ラテン帝国再興は難しいのではないか。
母がハンガリー王国の請求権を持っているとはいえ、ビザンツ領内の公爵の請求者は見つからず、周囲の国が奮起することを期待するしかない。
ということで、ルームをあまり弱体化させすぎることは得策ではないとの結論を導いた。

won_Cibyrrhaeot.jpg

1305年7月、聖戦に勝利はしたものの、フィリップは聖戦を控える方針を取ることにした。

claim_Epieros.jpg

こちらの国で代替わりしているので、休戦期間は終了している。
というわけでビザンツへの宣戦布告の運びとなった。
ビザンツ皇帝は、シチリア国王の偏執狂的態度にうんざりとの返書を返した。

家令「お手紙が届いていますよ」
フィリップ「息子への婚約の申し出だろうか? もう少し相手を探す時間がほしいが」
家令「いえ、ヴァンドーム伯領を求めての宣戦布告のようです。既に敵軍が我が領に向けて移動しているとの報告も」

declared_war.jpg

フィリップ「イングランドとの二正面作戦は難しいだろう。今はビザンツに集中したい。伯領を明け渡す」

surrender.jpg

家令「あの……イングランドと紋章が似ていますが、相手はノルマンディー公です」
フィリップ「それを早く言わんか。もう遅い」

生来の優柔不断を正そうと即断即決してみたものの、裏目に出てしまった。
結局、勘違いによって領土を失うことになるも、ビザンツとの戦争には勝利して、領土の数は足し引き0となった。

ローマとの暗闘

1309年8月

家令「またお手紙が届いています」
フィリップ「差出人をまず言うんだ」
家令「教皇庁からです」
フィリップ「カトリックの布教への感謝のお手紙かな」

教皇「破門します」

excommunicated.jpg

フィリップ「」
家令「教皇庁とはアブルッツォの支配権を巡っての争いがございまして」
フィリップ「強欲司教どもめ、つけ上がりおって」
家令「そういうところですよ」

片時の間、フィリップは何事もないようにふるまっていたが、
破門によるせいか廷臣から漂ってくるよそよそしさに参り、ローマへ大臣と宮廷司祭し関係修復を開始した。
同時に、自身も神学に対する理解を深めようと、交流のあった聖職者に内密に教えを乞うた。
存外にも信仰の道は奥深く、その追求はフィリップのライフワークへとなっていく。


次にフィリップは臣民の興味を他に移そうと、シチリア島奪還を行うと宣言した。
アラゴン王国はいまだ強勢であるが、シチリア島南部でトリナクリア王国が独立している。

claim_Girgenti.jpg

フィリップ「シチリア島は我が王国の正当な領土である。故に取り戻させてもらうぞ」
家令「今回はシチリア島の『一部』だけですけど」
フィリップ「お前は一言多いな」

シチリア王国軍7千がトリナクリア王国軍3千を下馬評通り蹂躙し、1312年1月、30年ぶりにシチリア島への帰還を果たした。

return_sicily.jpg

シチリア島には先々代の苛烈な統治を覚えている人間もまだ残っており、歓迎しない声も聞こえてきていた。
フィリップは負担を増やさないことを公衆の前で誓うことで、反発を抑えることに成功する。

すぐさまフィリップは意識をビザンツへと向ける。
皇帝が暗殺された(今回は関与なし)ことで、幼帝が継いでおり、休戦期間が消滅していたのだ。

claim_phil.jpg

フィリップが利用したclaimは領土を持っていない女性のものであった。
ビザンツの領土が削れさえすればよいと執念を語る姿はまるで別人だと、ある廷臣に記されている。

いつもの通りフィリップは出陣せず、ナポリで戦況の報告を聞くに留めていた。
将兵の間でも、王がいない方が指揮系統が混乱することもないとの評判が立っている。

家令「お手紙が届いています」
フィリップ「次はモンゴル帝国からの臣従のお誘いか?」
家令「しっかりしてください。差出人はクリュニー修道会です」

cluny.jpg

フィリップ「ん? 招待状だな。まさか破門の身の私に送ってくるとは」
家令「典礼を度を過ぎて豪華にしてしまった反動で、運転資金に困っていると聞きました」
フィリップ「修道会ですら欲深いとはな」
とは言ったもののせっかくの招待を無碍にもできず、お招きにあずかることにした。

修道院では、まず壮麗な建物に魅了され、さらに華々しい儀式に参加するうちに、それまで抱いていた負の感情が吹き飛んだ。
教皇の支配にない自由な気風もフィリップの気に入るところとなる。
滞在中、修道院の建築様式を学ぶために熱心に専門家に質問をぶつけた。
帰り際にはいくらかの寄進を行い、破門解除のとりなしを修道院長に依頼している。


修道院のとりなしのおかげか、はたまた大臣による工作がうまくいったせいか、
1314年1月にフィリップの破門は解除された。日記には「慈悲深い」ケレスティヌス6世への感謝の言葉が記されている。

Caelestinus_IV.jpg

大聖戦の時代

地元の王を「改心」させたことで足元を固めた教皇は、1314年10月、アナトリアへの十字軍を宣言した。
ビザンツとシチリアからの圧迫によって勢力を縮小していたルームには、とどめになるかと思われた。

11th_crusade.jpg

フィリップ「嫉妬深いパラノイアの教皇め。早く十字軍を宣言してくれたら、大臣を送る必要もなかっただろうに」
家令「そういう態度が問題なのですが」
フィリップ「ビザンツに派遣した兵を一部だけ動かして、半ば名目だけ参加する。これ以上のルームの弱体化は望まない」

久々に王の出陣が行われたが、十字軍traitを取るとすぐさま引き返していった。
以後、十字軍での活躍の場を外交へと移すこととなる。
1915年1月にビザンツとの戦争に勝利するものの、再び兵を派遣することはなかった。

十字軍の呼びかけに応じる諸侯も少なく、イスラム勢力の反撃も強くなってきていたため、教皇庁は次第に拳の下す先を探すようになった。
そこで活躍したのが、フィリップを初めとする消極的参戦の諸侯で、名誉ある引き分けに見えるように幕引きを図った。
そして1316年4月、停戦協定が結ばれることとなった。

end_crusade.jpg


England.jpg
十字軍の裏で勢力を拡張し、4王位を保持するイングランド国王

ビザンツとの休戦が明けるまでは腰を落ち着かせて内政ができると一息つこうとしたところ、東で戦いの号令が鳴り響いた。

jihad_Anatolia.jpg

中編に続く


添付ファイル: filewon_Cibyrrhaeot.jpg 16件 [詳細] filesurrender.jpg 14件 [詳細] filereturn_sicily.jpg 12件 [詳細] filePhilippe.jpg.jpg 16件 [詳細] filejihad_Anatolia.jpg 18件 [詳細] fileexcommunicated.jpg 14件 [詳細] fileEngland.jpg 57件 [詳細] fileend_crusade.jpg 14件 [詳細] filedeclared_war.jpg 14件 [詳細] filecluny.jpg 17件 [詳細] fileclaim_phil.jpg 13件 [詳細] fileclaim_Girgenti.jpg 20件 [詳細] fileclaim_Epieros.jpg 14件 [詳細] fileCaelestinus_IV.jpg 12件 [詳細] file11th_crusade.jpg 16件 [詳細]

トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2018-03-09 (金) 15:07:22 (130d)