AAR/1066年のヴァイキング

1140年 VSイングランド

イングランドによる、オークニー公領を請求しての聖戦を受けた40年10月、「主神の剣」エリック王は45歳になっている。

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各種能力上昇の野望を適宜セットしていったおかげで、即位時より全体的に能力が底上げされている。
現在の直轄領はユトランドに4、スコーネ・シェラン・ウプランド・シュレスヴィヒの8領。
王国としての動員力は15000にまで増えているが、このうち9000が直轄軍、1200が常備ハスカールだ。
封臣は基本的に貧乏で内政の進みが遅く、約1家の例外を除いて、王権を揺るがせるような勢力は存在していない。

さて。戦争である。
上のSSの左下の方に、我が軍がゴチャゴチャっと展開しているのは、いつものようにポメラニアを焼いているところに宣戦を喰らったためだ。
この兵力に加え、ヨムスヴァイキングを雇用して20000の兵を確保。
さらに、ゲルマン信仰の同胞であるコラ大族長が、4000の兵をもって参戦してくれた。
彼らはまだ部族であり、戦力的には数合わせ程度にしかならないが、参戦してくれるのはあり難い。

対してイングランド軍は王国全土から20000の兵を動員。さっそくシェトランド諸島に乗り込んできた。

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イングランドの狙いはオークニーなどの北方諸島。領しているのはノルウェー侵略を成功させたゴトランド共和国だ。
いっそ奪われてしまっても大して痛くはないのだが、戦力的に充分勝てる戦を捨てるのも馬鹿らしい。
ひとまず、ポメラニア略奪が一段落するまではイングランド軍は放置し、北方の寒さによる損耗で数を減らすのを待つことにする。

1141年 国王不予

・・・と、考えていたら41年2月、エリック王がいきなり熱を出し、咳の症状を訴えだした。(健康値マイナス1.25)

即座に「病気の治療法を探す」ディシジョンを実行。

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宮廷医師が「リコリスの根と香草を煎じたものでうがいをさせる」という治療を行い、健康値が一気にプラス2された(累計健康値プラス0.75)

が、41年3月末に、熱と咳は肺炎の前駆症状であったことが判明。うがいの効果も消滅した。(健康値マイナス2)

すると宮廷医師から、以前の仮面の聖王のときと同じ、「いくつかの異なる治療法を提案する」イベントが発生。

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肺炎ならば一時凌げば治るはずの病気であること、
45歳とすでに高齢で後継者も成人前とはいえ決まっていること、
前回と同じ選択をするのはつまらないことから、
今回は真ん中の選択肢を選んでみた。聖王の際は一番上の選択肢の結果、顔と目を抉られたが、さて・・・

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「医師はあなたの部屋に悪臭と共に入ってきました。臭いは、彼の持っている瓶の中から発生しているようでした。
"これは牛の糞とハーブを混ぜ合わせた湿布薬(塗り薬?)です、我が主"
医師があなたの胸にそれを塗りつけたとき、あなたは吐きそうになりました」

結果、肺炎の能力値マイナス補正と健康値マイナスが、綺麗に相殺される別の補正を得ることができた。
牛の糞とハーブを混ぜ合わせた・・・ね。これはいかにも当時ありそうな民間療法だなぁ。
もしかしたら、キリスト教圏では別のイベントテキストが出たりするんだろうか?

1141年 航海の病

これで健康値がプラスマイナスゼロになり、とりあえず一安心。健康値プラス補正のかかる2年の間に肺炎が快癒してくれればいいのだが。
一方、イングランド軍に占領されたオークニー・シェトランドを占領し直すため、略奪を終えた各部隊の船団輸送を開始。が、
その一隊を(誤って)直卒していたエリック王がまたしても体調不良を訴えた。

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Scurvy―「壊血病」である。健康値マイナス3とかマジか。
というかこんなのも仕込まれてるのか、デンマークからシェトランドまで船で移動させるのすら危ないとか、怖いな。
そしてこれには医師による治療イベントが起こらない・・・肺炎でやった直後だからか、壊血病には起こらないのか、は定かではない。

ここで一時停止し悩んだ。45歳に健康値マイナス3は即死まで有り得る。壊血病がどの程度で治るのかも分からない。

後継者候補は2人。「明敏」持ちの王の次男ティケと、「天才」持ちのトルステンの息子オッドだ。

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ティケもそこまで悪くはないが、「怠惰」に「シャイ」で外交値1というのが弱い。
これなら、摂政政治になったとしてもやはり「天才」オッドが有利だ、と決め、
ウプランド伯及びウプランド公位を譲渡、後継者として指定した。
スウェーデン王の選挙権を持っているのは王本人とウプランド公とゴトランド共和国市長のみ。事実上の後継者指定制である。

仮にエリック王が即死しても、イングランドの聖戦を受けているさなかなら、臣下のオピニオンもそこまで低くはなるまい・・・という目算も立てつつ、
陸軍20000を、シェトランド・オークニーに損耗ペナルティに引っかからないように分けて移送。
合わせて、エリック王を指揮官から外して静養させる・・・と

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壊血病は上陸から2ヶ月も経たずに治った。やっぱり新鮮な野菜と果物食べなきゃだめだね。
翌年初頭には肺炎も無事快癒。46歳になった王は健康を取り戻し、対イングランドの指揮を執り続ける。

1142年 鏖殺の島

42年1月。

イングランド軍から奪い返した後、損耗に引っかからないギリギリの兵数で居座りを決め込んでいたオークニー諸島に、
わざわざ海上輸送の直接上陸で、イングランド軍14000が乗り込んできた。

敵は上陸戦ペナルティに士気半減、難易度とて難であってもこれで負けるわけがない。

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ただまあ、念には念を入れて沖合に待機させていたヨムスヴァイキング7000を、増援で投入。20000で14000をブチのめし、損害1300で敵兵7000をsatugaiした。
この1年後、更に同じような展開を、20000VS10000で行い、イングランド軍を残数数千というところまで叩き潰すのに成功。
以降、イングランド軍が土地を奪う→奪い返す→奪う→奪い返す、をひたすら繰り返し、戦勝点が溜まるのを待つ日々が続いた。

・・・まあ順当に勝てそうではあるが何かいやな予感がしてきた。イングランドがここまで弱ったということは、もしかして・・・

1146年 カンタベリー大聖堂炎上

予感は的中した。

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45年春、アステカ帝国、イングランド王国に対し侵略戦争CBによる宣戦を布告。
イングランド王の抵抗は1年も保たず、王国dejure圏内全ての領地を奪い取られ、崩壊。
イングランド王傘下だったコーンウォール公・ブルターニュ公が独立すると共に、
全領土を失ったイングランド王とスウェーデンの戦争もまた終戦となった。

なお、この戦争でアステカイベント兵が受けた損害はほんの1000足らずであった。

これダメなやつだ。

カトリック圏の全王国合わせても10万がやっとだろ・・・?
この調子で行けば、欧州征服まで1世紀もかからんのじゃないか・・・?
どーすんべこれ。
とりあえず、アステカの首都に宰相常在させて関係改善だけでもしておこうか・・・
20万が攻めてくるとか抵抗の方法も思いつかないわ。

1147年 東へ 東へ

このころ、東欧では新たな王国が誕生している。

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エストニア人のエストニア公国が、フィンランドの諸族をまとめ上げ、スオミ王国の建国を宣言したのである。
スオメヌスコのスオミ王国、ロムヴァのリトアニア王国、東方正教のロシア、カトリックのポーランド、と、
東欧で、ここまでうまいことまとまった勢力が分立する形になるのは中々珍しいのでは? と思う。

なお、ポーランド以外は全て部族制。ロシアもまだ部族である。

そして、イングランド戦が終わり、兵を引き揚げた47年。
アステカの脅威に対抗するにはもはや東欧諸国をまとめ上げる以外にないと決断し、一大侵略戦を開始することとした。

47年6月、スオミ王国のエストニア公領を請求し聖戦
48年10月、コラ大族長にウプランド公領内に持つ領土を請求しdejure宣戦。
49年12月、スオメヌスコのリヴォニア大族長に聖戦(ゲルマンに改宗し停戦)
50年6月、スオミから独立したハーメ族長へコンクエスト
50年10月、リトアニア王国のジェマイティア公領を請求し聖戦布告
52年6月、スオミから独立したカーキサルミ族長にコンクエスト
52年10月、ポーランドの宣戦を受けたリトアニア王、カトリックに改宗
53年4月、スオミ王国のカレリア公領を請求し聖戦
54年5月、リトアニアで反乱を起こしたロムヴァのポロツク大族長に対し、ポロツク公領を請求し聖戦
55年5月、ゲルマンの同胞リヴォニア大族長にポーランドが聖戦を仕掛けていたため介入

と、立て続けに兵を興し、東欧諸国へ侵攻していった。
リトアニアは中々に強国であり、初戦は武勇20の王の下に万の軍勢を出して抵抗したが、

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軽歩兵が大半を占めていては、いくら万いようと張り子の虎でしかなく、我がハスカールたちが真っ向から粉砕した。
これで主力を失ったリトアニアがポーランドに宣戦され、リトアニア王が刃を逃れるためにカトリックに改宗、というドミノ現象も巻き起こしつつ、
56年までに領土を大きく広げている。

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スオミ王国は10年も保たず崩壊状態となり、
リトアニア王国もまた、王がカトリックに改宗した反動で、ヴィテプスク・プスコフ・ゼムガレといった諸族長が離反、内部崩壊を起こしている。

もっとも、奪った面積こそ広いが全て部族領。内政の進み具合はヘッポコそのもので、国力の足しにはあまりなっていない。
各地に封じる一門の人数も足りないため、有望なLowborn男子をinvite countし、一門の女子と女系結婚させた上で伯に任ずる、という手も使っている。
時々、継嗣が産まれる前に一門の女子が死んでしまう、ということも起こっているが、ある程度は仕方ないと割り切っている。
スウェーデン人でさえあればとりあえず良い。

1157年 試練の時(第二部)

56年10月。リヴォニアを攻めていたポーランド軍主力を破砕し、おおよそ安全を確保できたと判断。
リトアニアから独立しているプスコフ族長にコンクエストしたところで、奴らがまた来た。

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57年3月、西方皇帝が、スウェーデン王領ヴェストランドを請求しての聖戦を布告してきたのだ。

前回、37年に禁輸戦争を仕掛けられた折、「あと20年は待ってくださいよ。」と書いたが、本当に20年待ってからの再宣戦となった。
しかし20年待ってもらっておいてなんだが、スウェーデン王軍だけではまだ20000どころか15000がやっと。総兵力35000という帝国軍を相手にするのは、正直かなり辛い。
辛いが、ここでヴェストランドを取られ、スカンジナビアで国境を接する事態となっては、以降定期宣戦からのジリ貧ともなりかねない・・・

勝つしかない。
やってやる! やってやるぞ!

王国総動員で15000、ヨムスヴァイキングが5000余り、さらにロシア傭兵4300、スコットランド傭兵4300を雇用。
資金を1000ほど貯めていたおかげで、傭兵をこんだけ盛っても2年くらいは資金が続くが、逆に言えばこれが王国の限界点だ。

さて総勢30000の兵をどう布陣させるか。
帝国軍は恐らく陸路でデンマーク経由・ノルウェー入りを目指すだろう。
ならばシュレスヴィヒを全軍でふさぐ? いやいや、あそこは平地、30000VS30000でぶつかれば難易度補正で100%負ける。

なので、

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シュレスヴィヒ・ユトランドは明け渡し、フュン島に全軍を集結させた。
帝国軍に海峡を越えさせ、マイナス補正を付けさせ叩く以外に手は無いと判断したためだ。
首都を蹂躙されるかもしれないが、それでも戦争を失うよりはマシである。
57年末、宣戦からたっぷり時間をかけて全軍を集結させた帝国軍が、ようやくデンマークに来寇。その兵力は25000。
残り10000がいないが、これは後続で来ているのか? それとも別ルートなのか?

58年1月、シュレスヴィヒが帝国軍に蹂躙されるのを完全に無視しつつ、少し布陣を変更。

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帝国軍がフュン島に突っ込んできてくれるよう、一部をシェランに移した。案の上、帝国軍は海峡越えで前進し・・・

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58年1月24日、オーデンセの会戦。
海峡越えのペナルティに加え、9000近い兵力差を付けての迎撃戦。だがこれでも士気の削れ具合は同等かそれ以下・・・

2月2日、我が軍右翼が白兵突撃を開始 敵左翼と正面衝突
2月7日、我が軍右翼が敵左翼を破砕 敵中央に突撃を開始
2月8日、我が軍中央と右翼が敵中央に同時突撃 敵中央が一日で2000名近い損害を出す
2月14日、敵軍中央が潰走 残った右翼に集中攻撃
2月24日、

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ゲルマンの勝利だ!!

三連ガッツポーズ級に気持ちいい。HOIで敵数十個師団を空挺で潰した時くらいに気持ち良い。
シュレスヴィヒを速やかに奪い返し、戦勝点は一気に47%に達した。

難易度とて難の良いところは、敵の士気が高いために劣勢になってもなかなか敗走に陥らず、敵兵を一戦で思いっきり削れることだ。
上手くいけば本当にスカッとする。

なお、帝国軍の残り10000はこの頃、なんかワケの分からないルートを通って

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こんなところにいた。何をしているのか本当に理解不能である。

この後、58年7月に、再度シュレスヴィヒに来襲した上の討ち漏らしを再び丁寧に殴り飛ばし、
10月には、フィンランド→ウプランド→半島横断、という凄いルートでノルウェー入りを目指す帝国軍別動隊を、
オスロ近郊で待ち伏せ、川越えを強いたところに援軍をブチ込んで、叩き潰した。

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愉快痛快。
この三度の戦勝と時間経過で、勝利点は無事100に。
賠償金900を奪い取り、西方皇帝バーベンベルグ家の財政は無事完全破綻した。

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ごくろうさん。でももう来るなよ。900貰っても赤字なんだからな。
てかあなた開戦前とずいぶん人相変わったね? 

この戦勝を確定させた僅か3週間後、59年2月23日、

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「主神の剣」エリック3世は63歳で自然死した。帝国との戦争に勝利し、安寧の内に天上へと旅立ったのだろう。
度重なる大病で顔をボロボロにした先王と異なり、特に大きな病気もせずに自然死の形になったのは、首都の病院にせっせと投資してきた成果だろうか?

後継者は予定通り「天才」オッド。彼は既に片腕である。



next:スウェーデン王オッド(1159~)


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Last-modified: 2016-09-04 (日) 18:29:37 (409d)