AAR/1066年のヴァイキング

オッド「賢王」の治世

1159年 オッド王26歳

スウェーデンの新王にしてゲルマン信仰の盟主、オッドは、26歳でその地位を継いだ。

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系図としては、本AARにおける初代、エリック2世王の末娘の子孫に当たる。
一門の人数を増やすために、娘と女系結婚させたLowbornの子孫であり、女系で繋がっているうちの1人だ。
26歳という若さながら、彼は既に片腕である。どうも何か病気をして、手術で切除されたらしい。

また、前王エリック3世から与えられたウプランド公領及び、父から継承した2伯領合わせて1公領・直轄3伯という大勢力をもって、
24歳の時にポメラニア王国へ「準備された侵略」を敢行。
も、帝国の介入によって叩き潰され、本人が捕虜となる大敗を喫し、
ポメラニアに賠償金を支払ったことで、王位を継ぐまでは巨大な借金を抱える有様だった。

もっとも、ステータスの平均値は15と高く、「公正」「勤勉」「勇敢」と優れた特性にも恵まれている。
即位前の時点で「The Wise」の異名を受けているのも頷けるというものだ。

なお、正妻は全ステータス一桁の凡庸である。これはさっさと暗殺したうえで、

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事前に目を付け、エリック王の側室にしておく形で用意しておいた娘を後妻とする。
外交値が少し低めなくらいで、管理20越えを筆頭にほぼ文句なしのステータスだ。
側室にも、「強健」「明敏」「美貌」をそれぞれ1名ずつ雇用。
「片腕」は異性との関係や多産度には影響を与えないため、たくさんの子供を期待したいものだ。

1164年 燃やし尽くし奪い尽くせ

王の治世は略奪から始まった。
リトアニア、ヴィテプスク、デンマーク、ポメラニアを淡々と焼き払い、資金を得、それでもって内政を進めていく。
本当ならエリック王が始めた東欧平定の続きをやっていきたいのだが、
生憎、獲った土地に封じていくべき一門の数が足りないため、少し時間を空ける必要があるのだ。
また、帝国の攻撃に備えて、余裕を見て1000金くらいは保持しておきたいという要求もある。

この、オッド王の第一次略奪行によって、王は「ヴァイキング」の上位特性「レバイジャー」(侵略者? 略奪者?)を得ている。

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2.6パッチから追加された新特性だそうだ。ひたすら略奪に励むことによって手に入ると思われる。
これ、同じ信仰からオピニオンプラス20とか凄まじいな。即位したらとりあえず特性入るまでひたすら略奪、というのもアリなのか? 
でもこれ得るまで5年くらいかかってるんだよな・・・うーん。

また、64年には二種類の疫病が同時にスカンジナビア一帯を襲っているのだが・・・

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せっせと投資を続け、病院レベル「ミディアム」になっているユトランドだけ、疫病が綺麗に避けていっている。
病院レベルを上げれば、「疫病が入りこみにくくなる」補正がかかるようだ。
治りやすくなる補正はあるんだろうか? そっちは宮廷医師の学習値の方なのかな?

1168年 家庭に恵まれない王

そんな新王であるが、彼の個人生活はあまり恵まれたものではなかった。
66年、「天才」持ちの超優秀な正妻が、若干29歳でガンからの「頭痛」「発熱」「胸の痛み」を併発し、あっけなく病死。

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やむなく、これまた「天才」だったその妹を娶るが、こちらも結婚2年後の68年、出産時に子供と引き換えに死亡した。

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更に、その深い教養と美貌に惹かれ、恋人関係になっていた「美貌」持ちの側室までも、

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3人目の正妻が死んだ直後に、子供と引き換えに死亡。

しばらく後、その墓参りに行くイベントが起こり、恒久的に健康度がプラス0.5されるというイベントが起きた。

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プレイヤー的にはこれは美味しいが、こうまで立て続けに死ぬと色々こみ上げるものもある。
正妻、側室共に、何か遺伝特性を持っている女性を見つけることもできなかった。勘弁してほしいものだ。

また、健康度に関しては、67年にこんなイベントも起こっている。

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医師が、「勤勉」持ちの王に対してちょっと働き過ぎですよという忠告を入れたそうだ。
上の選択肢を選ぶと、威信が下がると共に「勤勉」が消え、
さらに全ステマイナス1される代わりに健康度が30年に渡ってプラス1される、「Take it easy」補正を得る。
下の選択肢だと、威信が上がる代わりに、30%の確率でストレスを得る。

「勤勉」のステータス補正が消えるのと合わせて全ステマイナス2となるが、
この時期、後継者となり得る若者が全く見つかっておらず、不測の病死を避けたかったことがあり、
ここは上の選択肢を選び、健康度プラス1を得た。
この後に発生した墓参りイベントも合わせ、以降、王は病気一つしない頑健な肉体を、老境まで保持し続けることになる。

まあ、地味に片腕なんだけども。

1173年 西と東の宗教戦争

73年、ついにその時が来た。

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カンタベリー大聖堂がケツァルコアトルに蹂躙されてより早26年。ついに教皇の怒りが中米から来た邪教徒に降り注いだのだ。
この時点でのアステカの兵力は、イベント兵約170000、その他20000の計190000。

これだけの兵力を持ちながら、アステカはイングランドを崩壊させてよりほぼ30年、
アフリカでちょこちょこ拡大した程度で、ほとんど戦争を仕掛けていない。
海を越えてフランスに行けとは言わないが、
1領伯乱立のアイルランドや、2領しか持たないコーンウォール公すら潰しに行かないのは正直奇怪な感がある。
防衛協定ルールは「無し」にしてあるので、これはもしかしたら、アステカの過剰拡大を防ぐために、
アステカAIには何か戦争仕掛けにくい補正でもかかっているのだろうか?

ともかく、76年3月時点でこの十字軍には、

・ローマ教皇ホノリウス2世
・ヴェネチア総督バルトロメオ
・ハンガリー女王エディト
・ナヴァラ女王ベラシタ
・ペレヤースラウ公コンラッド(港無し)
・ペーチ女公アランカ(港無し)
・ブルターニュ女王セヴァ
・ウージュホロド女公エモーケ
・ペスト公ラースロー3世(港無し)
・コーンウォール小王マウ
・ノルマンディー女公グリセルダ
・シチリア公オーブレー
・バルセロナ公ポーネ
・ホスピタル騎士団
・カラトラヴァ騎士団
他、アイルランドの伯級領主が9家(ほぼ全て)

と、見た目にはなかなか壮絶な数の勢力が参戦している。
が、王称号を持つ君侯はハンガリーとナヴァラのみで、方や黒海沿岸にしか港がない、方や動員力7000ソコソコの小王国と、戦力的には今ひとつ。
他公爵級領主も、港がなかったり戦力が小さかったり、戦域が近いフランス系諸侯が全く参加していないなど、
参加している勢力数の割に、肝心の兵力数はあまり壮大なものではなかった。

しかもこれに合わせるかのように、シーア派ジハードがピサ共和国領するアフリカに発動。
シーア派といえば、ファティーマ朝とその傘下の君侯たちがそのほぼ全てである。
カリフの呼びかけにファティーマのスルタンとその臣下多数が応じ、
ジハードを喰らったピサ共和国の側にはシチリア王・クロアチア王・HRE皇帝が参戦。
しかし当時皇帝は、スウェーデン家臣団がせっせと仕掛けている対ポメラニア・対ポーランド聖戦に対しても、カトリックの盾として右に左に参戦しており、
シチリア・クロアチアは下のSSに示す通り、ビザンツのDejure回収戦争を連年喰らい続けたことで既に半死半生の状態となっていた。

結果、76年、

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シーア派ジハードは、本AARにおけるこの手の大聖戦の中で、初の成功をおさめ、
ファティーマ朝スルタンがピサのアフリカ領の大半を奪い取り、ピサが1世紀かけてアフリカに築いた地歩を3年足らずで消滅させる結果となった。

なお、この頃のスンニ派は、1150年あたりにセルジューク朝が大崩壊を起こし、
メソポタミアからシリア・エルサレム付近に中小勢力が乱立する形になっている。
このシーア派ジハード成功の4年後、
1180年に、スンニ派スルタンがビザンツ領アナトリアにジハードを打ち込んでいるが、鉄壁の千年帝国に真っ向破砕されている。

そしてイングランドへの十字軍はというと、

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81年、結局アステカイベント兵を10000そこら削ったところで失敗が確定。
何というか、残念としか言えない結果となった。

ところで、ひとつ上のSSを見て気になったのだが・・・アステカの船の数が、イベント兵を運ぶ数に全く足りていないのが分かる。
初期にイベントスポーンした1000隻の船はどこにいってしまったのだろうか・・・?

1165年 東欧平定戦

さて、ここまで他国の情勢について記してきたが、この間、スウェーデン王が大人しくしていたかといえば、

そんなわけはない。

オッド王は、59年に即位して以降、6年間をひたすら略奪に費やし、
65年までに直轄領の内政をほぼ完了した上で、直轄軍15000、常備軍定数1600に貯金1500金を確保した。
この6年を待ったことで土地無しの成人男子や、一門と女系結婚させたLowbornスウェーデン人の数も増えてきたこともあり、
65年から、スウェーデン王国はノンストップで東欧の諸勢力を叩き潰していく。

65年12月、デンマーク領ブレーキンゲ伯領にコンクエスト
66年4月、ゼムガレ伯にコンクエスト
66年9月、スオミ王国のウーシマーにコンクエスト
66年12月、ゴトランド共和国がボジャミア大族長に聖戦成功(ボジャミア滅亡)
67年4月、プルセニア公国に聖戦(プルセニア滅亡)
67年6月、ロシア王国ノヴゴロド公領に聖戦
69年5月、リトアニア王国リトアニア公領に聖戦
69年8月、ポーランド王国で大規模な反乱発生
69年12月、ポーランド反乱軍マゾヴィア公領に聖戦

73年6月、スオミ王国タルトゥ伯領にコンクエスト(スオミ王国滅亡)
73年10月、ポドラシェ族長にコンクエスト(滅亡)

74年初の東欧図は下の通り。

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70年に、ポメラニア王国が、ゲルマンの同胞リヴォニア大族長に聖戦を仕掛けており、気付いたときには手遅れになっていた。
ならばかたき討ちだ。速やかに奪い返すのみである。

え? エストニア人のリヴォニアにスウェーデン人領主を封じるために、滅ぼされるのを看過したんじゃないかって? 
聞こえないなあ・・・

74年2月、ポメラニア王国リヴォニア公領に聖戦
74年9月、デンマーク王国ボルンホルムにコンクエスト
74年12月、リトアニア王国分裂。カトリックのリトアニア王国とロムヴァのスモレンスク大族長とに分かれる。
75年2月、西方帝国、スモレンスク大族長領プロシアに聖戦を布告
75年6月、スモレンスク大族長スモレンスク公領に聖戦
75年7月、スウェーデン王国家臣のポロツク公、スモレンスク大族長領ミンスクにコンクエスト
75年12月、スモレンスク大族長滅亡
75年12月、リトアニア王国クロニア公領に聖戦

76年以降、リトアニア王国の残存領土に対し、スウェーデン王臣多数が随時宣戦。84年にリトアニア王国は滅亡する。

このようにスウェーデン王国は、65年から75年の10年間で、リトアニアを消滅寸前に追いやり、ポーランド・ロシアにも侵食を始めた。
ただでさえ強力なゴトランド共和国が、ノルウェーに続き白海岸のボジャミアまで独力で潰してしまうという計算外もあったが、
ともかく順調に勢力を拡大している。

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プロシアに出来てしまった帝国領が恐ろしく邪魔だ。これをもぎ取るタイミングを窺いつつ、ポーランド・ロシアを崩していきたい。

王国の宣戦布告は、ここで一旦小休止する。
というのも、連続した宣戦・戦争で直轄軍の損耗が積もってきてしまったこと、
ロシアがビザンツ、ポーランドがフランスとそれぞれ同盟し、ちょっと戦争しかけるのに躊躇する事態になったこと、が理由だ。

もっとも、そうなったらなった、で

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こんな感じで、ポーランド領に全軍を投入し、国境全域を火の海にしている。
どのみち次に潰す相手、戦争できなくとも適宜弱らせておくのが吉というものである。
できれば川を遡上してさらに奥地を燃やしに行きたいのだが、
さすがにこの時期には城レベルが高まってしまい、船団が川に入れなくなっているため、陸続きの領地のみとなっている。

なお、ロシアは未だに部族制なので焼いても仕方なく、略奪隊は送っていない。

この第二次略奪行の結果、オッド王は78年、

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レバイジャーの更なる上位称号、「海の王」の称号を得た。確かこれが最上位称号だったはずだ。
しかしまあ、同じ宗教からのオピニオン25ってなんだこれ。ヴァイキングはほんとに細々優遇されてるよな。

1178年 後継者に悩む

二度目の略奪行は、ポーランド国境全域を焼き払う81年まで続くのだが、
その間にオッド王はあっという間に50歳も手前の老境に差し掛かり、後継者をどうするべきか悩む時期に突入している。

オッド王は延べ人数にして正妻4人に側室6人を持ち、11人の子供に恵まれた。
が、その「天才」は長女と4女のみに受け継がれ、男子の良特性持ちはついにゼロに終わった。
というかそもそも男子が3人しか産まれず、他8名は全て女子となった。

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王の子供の中で、78年時点で成人している男子は長男のみ。上のSSのリスト中下から2番目にいる、「ホモ」のボルンホルム伯である。これはダメだ。
後継者として当初目を付けていたのは、甥に当たる、上から2番目にいる「強健」持ちのフレデリックだったのだが、
見事にステータスの成長がヘタれ、「強健」以外に見るべきものが無い人物になってしまった。
幸い、ホルムガルド(ノヴゴロド)公グンナールが「公正」「社交的」でステータスもなかなかのレベルになっている。
当面は彼を後継者として指定しつつ、プスコフ公の5歳になる次男ヴァルデマールが「明敏」持ちで将来に期待できることから、
ヴァルデマールを直接教育しつつ、成長次第で後継指定を切り替える、という手順で行く。

せっかくの「天才」当主も、一代限りで終わってしまいそうな気配だ。
一門の人数がだいぶ増え、なんだかんだで優れた能力を持つ若者がきちんと輩出されるようになっているので、まあ何とかはなるのだけど。

1182年 ロシア最後の抵抗

81年、ロシア王が代替わりし、7歳の幼王が即位した。同時にビザンツとの婚姻同盟も無事解消。
即座に、ロシア領でもっとも広い公領、ウラジミールを請求しての聖戦を布告する。

この戦では久しぶりに、というかオッド王の治世で初の、万の軍勢がぶつかり合う大規模野戦が行われた。
が、未だに部族制から脱却できずにいるロシア軍は、スウェーデン軍の前に全く相手にならず蹴散らされている。

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これがロシア最後の抵抗とでも言うべき戦いとなった。以降のロシア攻めで、この規模の戦いが起こることはついに無かった。

併合したウラジミール公領は全部で5伯領。
内、3伯領と公号を後継候補のヴァルデマールに。2伯領を別の一門の男子に、と分け与えている。

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ロシアやリトアニアから奪った内陸部にある部族領は、基本的に、2・3領を纏めて1人に与えるようにしている。
海に面していない部族領では略奪に出ることができないので、金回りが劣悪になる。
ほっとくとなかなか封建化してくれないので、1人が持つ領土数を増やすことで、開発が早く進むように、という願いを込めている。

封建化しても内政がヘッポコなので、3領持ってもやっと兵力2000弱、とかいう悲しい有様で王権の脅威にはなりにくいし、
部族上がりだから、1・2代後に内政が進んだころには分割相続でバラけていく・・・という期待も持てる。

また細かいことだが、複数領地を纏めて与える場合は、後継者候補か、さもなくばLowborn男子と一門を女系結婚させた者に限定している。
Lowborn上がりなら、後継者を残さず早死にしたら領土は王のもとに戻って来るし、
後継者候補ならば、王位を継がせた後に広い領土を適宜処理すれば良いだけの話となるからだ。

海沿いや既にある程度発展している領地には、継承から外れている男子を1領ずつ封じ、
若い伯が早世して、領地持ちの親兄弟が領土を継承してしまった場合の急激な一家肥大化を阻止できるように心がけている。

まあ、色々やってもやはり継承の巡り次第で、意味不明な肥大化をしてしまう家も出てくるのだが・・・
その場合は最悪、王位をその当主に一旦継がせ、肥大化した勢力を解体した上で次代に回す、という、
選挙王制でしかできない荒業で何とかもできるしね。

非一門に渡すのは伯号までで、公号以上は全て一門で独占する、これは選挙王制を採る際の絶対条件だと思っている。

1183年 すっすめ進めどこまでも

次いで83年、フランスがイベリア半島のタイファ諸国VSナヴァラ王国の戦争に介入したのを見、
ならポーランドに援軍に来ることはあるまい、と聖戦・ヴォルィーニ。
騎士団も加えて12000で必死の抵抗を見せるポーランド軍を倍の数で叩き潰した。

更に85年4月、ポーランドとハンガリーの間で生き残っているガリチア公が、臣下のキエフ伯と内乱を起こしているのを見、
即座にガリチア公領へ聖戦。
86年1月にこれを降伏させ、返す刀でキエフ伯にもコンクエスト。

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とうとうハンガリーと国境を接するまでに南下した。ガリチア公には次男のハルステンを入れている。
で、キエフ伯を潰した後、またポーランドを略奪しつつ様子を窺っていたところ、SSの通り、HREで大規模な反乱が勃発。
これは行くしかない、と、HRE領プロシアを請求しての聖戦を発動する。

なお、83年にデンマーク王国も滅亡している。トドメを入れたのはまたしてもゴトランド共和国である。
これでこの共和国は、ノルウェー王国・ボジャミア大族長・デンマーク王国と、3つの勢力にトドメをさし、
5大ファミリーがそれぞれ持っている直轄領を合計すると10を超えるまでに至っている。

それはそうと対帝国だ。
辺境のプロシア公領はサクッと占領、しかし戦勝点は全く足りず、内戦中の帝国本土に乗り込んで攻城戦に取り掛かる、
と、帝国軍12000がボヘミアから東進してきたため、

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数が近いのでヤバいか、と思いつつも、ヴィスワ川を越えさせたところで迎撃戦を展開する。

が、そこへ、内戦聖戦そっちのけでポーランドへ侵攻していた帝臣ボヘミア王の4500が、
何故か突如皇帝軍の増援として南から乱入。顔が青くなった。が、

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両翼指揮官共に戦死、右翼敗走、中央士気崩壊スレスレという紙一重で何とか競り勝った。
この兵力差で何故勝てたのか分からない。地形効果と常備軍は偉大ですわ。

これで戦勝点を一気に80%台に伸ばし、反乱軍と帝国軍の奪い合いでボロボロになった領地を狙った連続強襲で一気に勝ちを決めた。

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帝国から初の領土奪取である。プロシア公には、成人したばかりのオッド王の3男、武勇19を誇るグンナールを入れた。

1189年 オッド王57歳

89年。スウェーデンはロシア・ポーランドを着々と崩壊に追いやりつつある。

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動員力はようやく30000に迫るかどうか、というところ。
面積は大きく広がったが、征服地は大半が部族領だったため、封臣の兵力がなかなか増えてこない。

HRE、フランスは安定しているが、イベリア半島は相変わらず統一の気配も見えない。
東欧では、ビザンツがクロアチアをほぼ征服しきっている。ハンガリーが黒海岸まで広がったが、現在絶賛反乱中だ。
南伊のシチリア王国も、ビザンツに着々と食い千切られつつあり、ノルマンディーの領土もフランスに徐々に回復されつつある。

中東では、カスピ海沿いに西進したセルジュークが、再びビザンツと国境を接するまでに回復した。
メソポタミア周辺d根はアッバース家が最大勢力、他いくつかの中小君侯が乱立している。

エジプトからアラビア半島、チュニジアまでは、シーア派のファティーマ朝が盤石の形で抑え込み続けている。
アステカはアルジェまで東進し、そこで停止した。こいつら何がしたいんだ。

1190年 スカンジナビア帝国成立

そして1190年。
ようやくMajestyの技術レベルが5となり、国法の「Admin」の項を帝政にできるようになった。
ここでフィンランド王位設立→スカンジナビア帝国建国。自力で封建化していたコラ大族長を臣従させ、

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スカンジナビアのdejure域の統一を完了。国法も帝政に変更した。

もっとも、スカンジナビア帝国自体はだいぶ前に建国可能になっており、
なんでこのタイミングで建国したかと聞かれたら・・・なんとなくやっちゃった、としか言えない。
冷静に後から考えれば、オッド王57歳ともうじき死にそうなこのタイミングでなく、
王位を継いだ若い新王の即位直後にやる方が、威信稼ぎにもなって良かったのではないか、という気もする。

まあ、ともかく。
これでトップページに書いた目標リストの第3段階までは達成。
次はブリテン島を征服するか、それともゲルマンの聖地回復に向かうか・・・
ローマ炎上・カトリック浄化目指してどんどんやっていこう。



next:スカンジナビア皇帝オッド(1190~)


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Last-modified: 2016-09-07 (水) 18:58:20 (406d)