AAR/1066年のヴァイキング

初代皇帝 オッド帝の治世

1190年 スコットランドの乱

90年は、スカンジナビア帝国建国と並んで、地図が大きく塗り替えられる出来事が起こった年だった。

出自不明ながら「勇敢」「敬虔」「正直」「社交的」「野心家」にして「卓越した戦略家」という才幹に恵まれた若者、ミューア。
彼はスコットランドのハイランダーどもを率い、30000の兵をもってアステカに反乱を起こした。
軽く15万を超える兵を持つアステカに対しこれは無謀かと思われたが、
なんと90年6月、見事アステカに勝利、スコットランド王国の分離独立を宣言したのである。

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どうしてこうなった。

この独立直後、アステカのイベントスポーン兵の残数を見てみると、115000にまで減じていた。

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少し前のセーブデータを順繰りにチェックしてみたところ、どうも88年あたりから、
モロッコでイスラム教徒の大反乱→チュニジアでアラブ人の大反乱、と連続して3・40000人規模の反乱がアフリカで起きていたようだ。
おそらく、そちらにイベント兵が移動したところをスコットランドの反乱が直撃、慌てて兵を戻すも間に合わず・・・
という展開だったのだろうか? と推測される。

十字軍にも出来なかった、「アステカを削る」行為をまさか反乱軍がやってのけるとは。いやいや恐れ入った。

1193年「賢帝」の治世の終わり

一方新生スカンジナビア帝国はというと、帝位を樹立したといってもやることは変わらず、
90年にロシアのロストフを聖戦で併合。続いて93年にポーランドの下ポーランド領へと聖戦を仕掛けている。

この頃、HREでは先の大反乱に敗北して評議会権限を下げられたのを皮切りに、万単位の反乱が続発、兵力が悲惨なことになっている。

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この頃の皇帝家は、オーストリアを本貫としていたバーベンベルク家だったが、
先の皇帝が「長子相続制」に切り替えたことに、諸侯が盛大に反発しているようだった。
おかげで、こちらは帝国に介入される憂いなく、ポーランドを削りに行くことができる。が。

ポーランド宣戦の直前、93年1月に、オッド帝は60歳にしてinfirmに。
続いて5月、Great Poxに罹患。
「Take it easy」補正はまだあるため健康度は累計マイナス1.5で済んでいるが、60歳ともなればこれでも致死レベルだ。

そこへ、学習値23を誇る当代の侍医が、またいつもの「いくつかの治療法を試す」提案をしてきた。

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が、今回は一番上に見たことのない選択肢がある。「勇敢」を持っている場合のみに出てくる特殊選択肢のようだ。
要するに「何だろうとかまわんやってみろ」ということか。
イベントの効果説明自体は、普段一番上にある「My life is in your hand」選択肢と変わらないようだが・・・
ともかく選んでみる。と。

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このイベント文は、以前ケティルムンド聖王が、顔を削がれたときと同じ文章だ。
だが手術の結果が悲惨だった。顔を削がれて「重大な負傷」を得た上にGreat Poxは治らず、
しかも、この医師を無条件で逮捕できるようになった。しないけど。

これで、infirm・Great Pox・Severely injuredの3つを同時に喰らい、健康値はマイナス3.5に転落。

これは死んだ。

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ですよね。

それでも、この状態で3ヶ月も持ちこたえた。すさまじい生命力であると思った。

2代皇帝 ヴァルデマール1世帝の治世

1193年 20歳の新皇帝

スカンジナビア帝国の2代皇帝、ヴァルデマール1世は、ポーランドへの聖戦が続く中、20歳という若さで即位した。

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幼年期よりオッド帝にその才覚を見込まれた彼は、まず有能と呼んで良い若者に育った。「臆病」があるのだけが邪魔な程度だ。
正妻にはオッド帝の「天才」を受け継ぎ、武勇25という凄まじい女傑に育ったギータを娶らせてある。

系図で見るとこのようになる。ヴァルデマール帝は、エリック3世王の曾孫に当たる。

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先代オッド帝はこの遥か右、エリック2世王の末娘の系譜なので、画面内には到底収まらない。
Munso家の生存している人数は200人を超えていた。いやいや増えたもんだ。

1195年 帝国初の大乱

94年10月、先代から続いていた下ポーランドへの聖戦を完遂。
続いて、下のSSの右端に見えているロシアの飛び地、チェルニゴフへとコンクエストをかける。

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この頃、ようやくにしてロシアは封建化を完了しているが、既に手遅れも良いところ。
戦争自体は気楽なものであったが・・・

95年10月。
即位直後から60~80%程度を上下し、地道に切り崩しと懐柔を行っていた、「評議会権限を上げろ」派閥に、
代替わり即派閥加入というミラクルをやってくれた、ゴトランド共和国頭領が加わったことで、一気に閾値を突破。

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ここに、帝国初の大反乱が発生した。
ゴトランド、ニダロスの帝国内二大共和国を主力に、オストランド公、クロニア公、スモランド公などが加わり、総兵力は22000に達する。

有難い。

HREがこの機に乗じて我が国に宣戦できるような状態でない今、2万ソコソコというどうとでもなる戦力で、
しかも「あの」ゴトランド共和国が反乱してくれたというのは本当に良いタイミングだ。

ロシア攻めのさなかだったことから兵の動員も済んでいる、というのもプラス材料となった上、
反乱軍主力が、こちらの野戦軍撃破を優先してロシアの平原を迷走、勝手に損耗してくれたというのもあって、

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反乱勃発から3年、大規模な野戦は起こらないまま、各地の占領で点を稼ぎ、鎮圧。
参加者全てを獄に繋いだ。

1198年 反乱の後始末

反乱した公は全員公爵位1つ・直轄1領・dejure外の封臣無し、という者のみ。伯も全員1領伯。
よって、彼らは全員領土を剥がず、賠償金のみで釈放。内陸部の貧乏伯などは無罪放免にしてopinionを稼いだ。

一方、ゴトランド共和国には容赦はしない。ここで効いてくるのが、帝国化と同時に制定した帝国法だ。

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帝国法があれば、公爵級領主から臣下の伯級領主をretractする際、何人引っぺがそうとも、他の領主には一切悪影響が及ばない。
よって、共和国の直轄都市を1つrevokeした上で、頭領を獄に繋いだまま、臣下の伯爵・伯級市長5名を全てretractし、皇帝の直轄下に置いた。

これによって、2つの王・1つの族長を滅ぼし、単独で6・7000の兵を動かせていた大共和国を一気に弱体化することができた。
いやあ良かった良かった。

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もっとも次は、フィンランド王がヴェストランド公位を継承、3つの公位・直轄4領をを持つ大貴族化してしまっているのが気になるようになった。
まあ、ド貧乏なフィンランドが本拠地であり、動かせる兵力が伯領4つ持ちで3000ソコソコと貧弱なのが救いであるが。

1200年 皇帝不予

反乱鎮圧後、一旦損耗した兵力の回復待ちもそこそこに、再びポーランドへトゥーロフ公領を請求し聖戦。
この頃、ポーランドでは同時並行で2つの反乱、ボヘミア王の宣戦、さらにスカンジナビア帝臣プロシア公の聖戦を受けており、

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もはや亡国待ったなしという有様であった。

が、問題はヴァルデマール帝の体調という、別の方面からやってきた。
1200年1月に頭痛、3月に倦怠感、5月に不快感と、明らかにこれ何か大病の兆しだ、という前兆の後、
9月、対ポーランド聖戦が終わったところで、27歳の若き皇帝がガンであることが発覚。(健康度マイナス3)
いつぞやの仮面の聖王を思い起こさせる展開だが、ガンとなればもはや余命いくばくもなし、手術による根治に賭けるしかない。

先に、オッド帝の手術を大失敗させた医師が、再び治療にやってきたが、

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ヴァルデマール帝が「臆病」持ちであるからか、手術に持ち込める「My life is in your hand」選択肢が出ない!
普段なら真ん中にある選択肢が、一番上に来ている。やむなくこれを選ぶが、

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んーーー、具体的に何をしたのか上手く意味が取れない・・・
服を脱いでじっとしているところに、医師が何か治療を行い、ともかく容体は改善されたようだ。
が、ちょうど5年間という期間限定の健康度プラス2を得るに留まり、ガンの快癒とはいかなかった。(累計健康度マイナス1)

根治は無理だったので対症療法で抑えつつ、というところか。
これは余命5年少し、と見て行動するしかない・・・うぬぬ、せっかくの「明敏」持ちだというのに・・・

1203年 二王冠の主

皇帝が闘病生活を送る中、03年にまたも地図が塗り替えられた。

ポーランド王家、ピャスト家の一族を母に持ち、ポーランド王位への弱い請求権を継承した当代のボヘミア王、プシェミスル家のボネ王が、
80年に宣戦して以降20年余、
ゲルマン諸勢力によるポーランドへの聖戦、ポーランドで連発した内戦、
スウェーデン王の帝国本体への宣戦に伴うボヘミア王軍の巻き添え壊滅、といった紆余曲折を乗り越えて、
ついにポーランド王位請求戦争を完遂。二王冠の主となったのである。

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勘弁してください。 国境線の向こうが真っ白になっちまった!

もうしばらくは、ポーランドを削る楽な戦を続けられると思っていたのだが。

さらに南のハンガリーは、兵数総勢10000に届かない程度で、充分勝てる相手ではあるが、
ビザンツとの緩衝国家として残しておきたいため、当面攻め込むつもりはない。

後はロシアを潰しきる以外、適当に弱い近隣国家がポメラニアのみになってしまった。
いよいよ、帝国への本格的な侵攻を始めるときがきたということか。うむ。

1206年 若き皇帝の死

以降、ヴァルデマール帝の治世は次代への繋ぎと割り切り、ロシアを停戦切れと同時に削りに行く他は、全て略奪に費やされた。
ポメラニアを皮切りに、これまで皇帝家の軍が赴かなかったブルターニュ、アイルランド、ノルマンディーといった地方にも船団と兵を送り、
財宝と捕虜をひたすら貯め込み続けた。

そうこうする間に05年10月2日、医師の施した対症療法の効果が失われ・・・

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06年1月17日、ヴァルデマール1世帝は33歳という若さで天上へと旅立った。
残した子供は男子3、女子3の6名である。もちろん、まだ誰も成人していない。

この時、16歳~25歳程度の若者の中に目ぼしい人材がいなかったこともあって、
諸侯からの強い支持を受けていたある公爵を、次の皇帝として選んだ。

3代皇帝 グンナール帝の治世

1206年 36歳の新皇帝

06年1月。
3代皇帝として立ったのは、初代皇帝オッド帝の3男、プロシア公グンナールである。
彼は一門の男子の中でもドダントツの、武勇24を誇り、「勇敢」であった。
このあたりが、諸侯から多くの支持を集める要因になったようだ。

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彼は滅亡前の衰退著しいポーランドに対し聖戦を布告したが、宗教騎士団の介入によって大敗、
その戦中に「バーサーカー」の特性を得ているが、賠償金で酷い借金も抱えてしまっており、帝室財産と相殺する羽目になった。

ひとまず、外交値の低さを補うために、「ヴァイキング」の特性を得て同宗教からのオピニオン補正プラス15を得ようと、
先代から続けていた略奪行を続行する。が。

07年9月、即位後僅か1年半余りで、皇帝がチフスに感染。(健康値マイナス3.5)
これを受けて、またしても例の治療イベントが発生した。今回対処する医師は学習値22である。

グンナール帝は「勇敢」特性持ちであったため、
上のオッド帝の場合と同じ専用選択肢、「Come on, Let's try something new. I insist」が登場。
まさか2回連続で大失敗ってことはないだろう、と、これを選んでみた。が。

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「医師は小さなナイフをもってあなたに近づきました。彼は着実で精密な切開をあなたの腕に行いました。
 彼はその後、幹部から何かを押しだしました。それは冒された組織のように見え、あなたは身震いしました。」

イベント本文は失敗したような感じでは無かったが、結果のところには「もう絶対コイツは信用しない」とあり、
「恐ろしい医療ミス」補正による健康値マイナス3が飛んできてしまった。(累計健康値マイナス6.5)

これ死ぬって!

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その通り、即死だった。

07年9月24日、グンナール帝はチフスと医療ミスによってあっけなく逝った。
チフスに感染し、手術が行われ、死亡するまで、僅か20日間。
彼の治世は、略奪行に明け暮れた1年9カ月という短いものに終わった。

4代皇帝 グンナール2世帝の治世

1207年 4代皇帝の即位

4代皇帝は、先帝と偶然にも同名であり、グンナール2世と記録される。
まずは即位直前の彼の状態を見ていただこう。

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彼は前回で、一時期王位継承者にもなっていた、ホルムガルド公グンナールその人である。
彼は公爵としての治世において、ロシア領への聖戦を成功させて直轄領を6か所に増やす大成果を上げ、
また、ホルムガルド公領全ての封建化も完遂、「主神の剣」の異名を取るに至っていた。

前回紹介した16歳時点と比べ、ステータスが全般に上がり、「公正」「社交的」に加えて「勤勉」「親切」などの良特性も得ている。
このステータスならば、そりゃあ諸侯の支持も得られようというもの。が・・・

残念なことに、彼は46歳と既に良い年であり、しかも「赤痢」に感染していた。(健康値マイナス4)
ホルムガルド公家の医師による治療が一応成功しており、09年6月まで続く健康度プラス2補正を得、なんとか一命をとりとめている状態である。
健康度補正が消える前に赤痢が治らない限り、彼が10年まで生きることはまずあり得ないだろう。
何とか、若く有望な後継者に、スカンジナビア帝位とスウェーデン王位を合わせて継がせなければならない。

折悪しくこの時期、30代の壮年期連中には特筆して優れた人材がおらず、
更にその下の世代を順繰りに見ていっても、「ホモ」だったり「狂気」だったりとどうもパッとしない。

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おかげで、諸侯の投票先も割れに割れており、皇帝が誰に投票するか、で選挙の結果が決まりそうな状況になっていた。
ここは、外交1が気になるところではあるが、国内で大きな勢力を築いているフィンランド王をそのまま皇帝に推戴するしかないか、
と思いだしたその時。ちょうどまさに成人したある青年の姿が目に留まった。

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外交14を始めバランス良いステータスがあり、マイナス特性がゼロ。健康値に補正のかかる教育特性であり、長生きを期待できる。
祖父は初代皇帝オッド、父はオッド帝の次男でガリチア公のハルステンと、血統も問題ない。

もはや彼しか後継者は無い、と、ホルムガルド公位を与えて後継者に指定。したところ、

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見事、諸侯の票の大半を集めた。いやあ、ホッとした。
他の候補者がどれだけ弱かったか、というのがこれでも分かっていただけるだろう。

08年。譲位前の一仕事を済ませておこうと、ロシア王国に聖戦を仕掛け、勝利。
ロシアを、ロシア王国dejure内から完全に駆逐し、地図を綺麗にすることに成功したが、
何故かクリミア半島のさきっちょにロシア領があり、滅亡させるには至らなかった。

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こいつが生き残っている限りロシア王位を簒奪できない。さっさと滅びてほしいものだ。

グンナール2世帝はこれを最後の仕事として、

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健康値補正の消えた09年10月2日、予想通り10年まで生きることなく、2年1ヶ月という短い治世を終えた。

初代以降、短命の皇帝が3人続いた。
2代ヴァルデマール帝は13年の治世の間に大反乱を鎮圧してゴトランド共和国を解体し、ポーランドを叩き潰した。
4代グンナール2世帝はロシアに止めの一撃を入れた。
しかし3代グンナール1世帝は本当に略奪しかしていなかった。

果たして、18歳の若き皇帝、グリム1世の治世はどのようになるのだろうか。
せめて、次の人材が輩出されるまで、最低10年程度は長らえてほしいものだ・・・



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Last-modified: 2016-09-08 (木) 00:27:25 (463d)