AAR/アルプス騎士道物語

第八代当主 オットー・フォン・レンツブルク

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 オットーは1257年にブルグント王太子ルップレヒトの長男としてキブルク城で生まれた。母アデラはボヘミア王アレスの長女で、プシェミスル家の出身である。成年すると父よりシチリア聖戦の総大将に任命され、一万の兵を率いてシチリア島へ向かった。

本紀

 1275年10月、パレルモのモンレアーレ城を包囲中に父ルップレヒト崩御の報を受けた。包囲を中断して帰国するべきだと進言する者もいたが、オットーはそれを退けて包囲を続行した。

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もう少しの辛抱だ

 それから、半年近くが経過した1276年3月。水も食糧も底を付き、モンレアーレ城は降伏した。ブルグント王国はシチリア島全域を支配下に収めることに成功し、キリスト教勢力は同地を300年ぶりにイスラム教徒の手から奪い返したのである。オットーはシチリア公爵領を設立して、弟のゲオルクを封じた。

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我らの勝利だ

 オットーがキブルク城に帰還すると、領民からは大歓声をもって迎えられたという。ブルグント王に即位して、間もなくクロアチア王女ヴェドラナと結婚した。

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早く王太子の顔が見たい

 1279年1月にはオットーの叔父で家臣のカラブリア公ポッポがイタリア半島に唯一残っていた異教徒をターラントから追い出し、同年6月にはブルグント軍がマルタ島を制圧して支配下に置いた。これによりイタリア全域がキリスト教徒の手に取り戻されたのである。

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これで地中海を支配下に置いたも同然だ

 翌1280年には約二万の兵を挙げてアテベジ朝マウレタニアの支配下にあるムルシアに向け聖戦を仕掛ける。同年、長男ラインハルトが誕生している。

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イタリアに続き、ヒスパニアも我が手で解放してくれよう

 この時代の特筆すべき出来事といえば、レンツブルク家の宿敵、ボゾン家のシュヴァーベン公アベリーノがバイエルン王を称するようになったことである。ボゾン家は依然として帝国内随一の勢力であったが、レンツブルク家がシチリアを獲得したことにより、パワーバランスに変化が生じつつあった。

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ボヘミア、我らがブルグントに続き帝国内で三番目の王国だな

 ついで、当時の世界情勢を見てみると、イスラム教勢力は西では神聖ローマ帝国の侵略を受け、東ではイル汗国に圧迫され、往時の強勢はすっかり失われていた。神聖ローマ帝国はかつてのローマ帝国を彷彿とさせる繁栄ぶりを見せていたが、これにはレンツブルク朝ブルグント王国の貢献があったことは言うまでもない。

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1280年頃の世界地図

 ムルシア聖戦は3年間続いたが、アテベジ朝の援軍による反撃を受け、失敗に終わった。一方で1285年にはアンコーナ共和国の支配するパドヴァを攻略して支配下に収めている。

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残念だが撤退する

 1287年10月11日、オットーはしばらく病床に伏せった後、キブルク城において死去した。享年29歳。父ルップレヒトに次いでの夭逝となった。13年あまりの治世であったが、父と祖父の志を継いで、イタリアの異教徒を誅滅した功績は称えられている。

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プレイヤーズノート

 またしても若死にしました。どこかで変な遺伝子が入ってしまったのでしょうか。次回は久々の幼君登場ですが、なにやら不穏な影が。


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Last-modified: 2012-09-10 (月) 16:28:30