AAR/マゾヴィエツキー家の華麗なる年代記

ドロゴヴィト2世(2)

ルテニア進出

916年11月、ポーランドの南東、ペレミシュル首長に臣従を要求。
ペレミシュル首長はドロゴヴィト(2世)の叔父にあたり、
ポーランド文化・スラヴ神話信徒であったため臣従に応じた。
これがルテニアへの進出の嚆矢となる。

http://kura1.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973496_624.v1379910367.jpg

ポーランド東部と国境を接するロシア人部族、ドレゴヴィチ族の大部族長リューリク。
わずか3歳の幼君。ドレゴヴィチ族はさらに東のノース人部族国家コヌガルズルと
激しく争っており、国力を消耗していたため、ルテニア進出への足がかりとして
このドレゴヴィチ族に対して征服CBによる戦争を仕掛けることにする。

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973514_624.v1379910378.jpg

敵兵力はコヌガルズルとの戦争で最初から少なく楽々撃破でき、
本拠地であるピンスク全域の占領と、いくつかの拠点を攻略することで
戦勝ポイントを充分に稼ぐことが出来た。

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973524_624.v1379910388.jpg

919年、ドレゴヴィチ族はポーランド王国の軍門に下った。
新たに領土に編入された東部地域はロシア文化であり、領主層もロシア人であったため、
ドレゴヴィチ大部族長による従来の支配体制は温存されて、
ポーランド王→ドレゴヴィチ大部族長→ロシア人首長という間接支配の形になった。

東部への進出の次は南部への領土拡大。
ポーランド王国の法的領域であるシレジア地方を完全に掌握すべく、
同地を支配しているシレジア公に対してオポーレへの征服CBを使用。
こちらの征服CBは異なる宗教に対する1州ずつの領土要求CBである。

http://kura1.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973544_624.v1379910402.jpg

シレジア公国も周辺国との戦争で疲弊していたため、兵力が少なく、
封臣の軍隊を招集しないで自前の軍隊だけで対処可能なレベルだった。
特に問題なくオポーレを割譲させ、王の直轄領とする。
その後シレジア公は残るチェシンをマウォポルスカ公に奪われて滅亡した。

http://kura1.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973563_624.v1379910415.jpg

相次ぐ戦勝で封臣のオピニオンが上がっていたため、王権を最低から低に強化。

この頃、北部国境のプロシア地方で、従来のノース人国家が分裂。
1州のみの弱小首長国が並存する状況となっていたため、
プロシア地方への遠征を行うことに。

プロシア遠征

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973577_624.v1379910427.jpg

まずは国境を接しているダンツィヒ・クルムの2首長国に対して征服CBで宣戦。
領土を奪う。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973594_624.v1379910439.jpg

次に、新たに国境を接したマリエンブルク首長国に対して征服CBで宣戦。
領土を奪う。

さらに、マリエンブルク首長国は戦争開始当初は2州を領有する国家だったのだが、
戦争の途中で領主が死亡し、分割相続の結果マリエンブルク首長国とサムラント首長国に分裂したため、
マリエンブルクの獲得の時点で停戦期間ペナルティなしでサムラント首長国に宣戦できた。
領土を奪う。

http://kura1.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973610_624.v1379910452.jpg

こうしてノース人の小首長国家群は3年間の遠征で一掃され、
新たにポーランドの支配下に置かれることになった。なお、支配者文化の変化により、
ダンツィヒはグダンスクへ、クルムはチェルムノへ、サムラントはサムビアへと地名が変化している。
うちグダンスクは国王直轄領とし、他のプロシア新領地は封土として分配しておく。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973624_624.v1379910464.jpg

ポーランドのプロシア遠征が終わったのとちょうど同じ頃、
スウェーデン族がリヴォニアを征服して、バルト海沿岸に続く巨大な領地を獲得した。
巨大化したスウェーデン族の王国はさらなる拡張を指向し、
どうやらポーランドが得たばかりのプロシア地方が次の標的にされてしまった模様。

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973633_624.v1379910475.jpg

デデン

~~~ッッッ!!!

とりあえずスウェーデン族の侵攻に備えて国内の軍勢を召集して待っていると、
バルト海沿岸に大領地を持つサモギティア大部族長が反乱。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973685_624.v1379910522.jpg

さらにフィンランド方面の大部族も反乱を起こし、
スウェーデン族はポーランドとの戦争どころではなくなる絶望の状況へ。
これはまさに天佑。ペルーンの加護か。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973646_624.v1379910486.jpg

ノース人同士で勝手に潰しあうの図。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973655_org.v1379910497.jpg

スウェーデン族の兵力が消耗したところで野戦を挑む。

http://kura1.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973670_624.v1379910509.jpg

勝ったな・・・。

キエフの乱

この頃、ポーランドに臣従したドレゴヴィチ族はノース人のコヌガルドを征服して
キエフを獲得し、ドレゴヴィチ族長は拠点をピンスクからキエフに移して
キエフ大部族長を名乗るようになった。
キエフ大部族長は配下のロシア人首長へ称号剥奪を勧告するなどして勢力拡大を図っていたが、
929年、ポーランドの法的領域外にあるペレミシュル首長と共謀して突如独立反乱を起こした。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973694_624.v1379910533.jpg

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973707_624.v1379910544.jpg

2方面作戦はまずいので、スウェーデン族と白紙和平し、反乱鎮圧の全軍を向かわせる。

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973714_624.v1379910556.jpg

コルスンの戦い。キエフ大部族長の軍勢を破る。
あとは各拠点を制圧して反乱の完全鎮圧を目指す。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973729_624.v1379910568.jpg

治世中あちこちと戦争しまくったため、不和王の二つ名を得てしまうドロゴヴィト(2世)

931年、ブルガリア王国から東方正教司祭が派遣されてくる。
ここで改宗してしまってもいいのだが、
普通のキリスト教プレイになってしまうのもつまらないのでは?と思い

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973731_624.v1379910576.jpg

ドーーーーン
とりあえず今回は投獄しておきました。
彼の名前は東方正教において殉教者として永遠に記憶されるだろう。

931年、キエフ、ペレミシュルの城砦を攻略し、戦勝ポイントが100に達したため、和平。

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973755_624.v1379910599.jpg

http://kura2.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973771_624.v1379910612.jpg

叛逆者ペレミシュル首長ナドボル、キエフ大部族長リューリクを投獄。
リューリクからはキエフ大部族長の称号を剥奪し、キエフ首長に落とす。
今後はポーランド王がキエフ大部族長を兼ね、ロシア人首長を束ねる直接支配体制へ。

大部族長位多すぎペナルティ軽減のため、
ヴィエルコポルスカ大部族長の称号をポズナン首長に付与。

なお、キエフにはスラヴ神話の聖地ユリエフがあるが、
ノース人支配の名残で神殿が北方神話の神官に支配されていたため、
暗殺プロットを用いて殺害し、スラヴ神話の神官に挿げ替えておいた。

http://kura3.photozou.jp/pub/387/2676387/photo/187973777_624.v1379910623.jpg

プロツク州のプルシュコフとあわせて2聖地を完全支配下に置く。
スラヴ神話改革にはあと1つ聖地が必要である。
近場ではポメラニアかモルダヴィアに聖地があるため、
どちらかを獲得して改革のための条件をひとつクリアすることにしよう。

AAR/マゾヴィエツキー家の華麗なる年代記


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2013-09-23 (月) 13:41:33