AAR/ラテン帝国を取り戻せ!

シナリオ開始日時について

本AARは、ラテン帝国建国より約3年後、1207年の9月と、少し半端な時期に開始日を設定している。
その理由をこの項で解説する。

ようこそモンフェラートの森

さて、ここがモンフェラート伯国である。

1枚目.jpg

アルプスのふもと、スーザ公爵のde jureにある。4スロット中空きが2スロットと、まあ特筆するほど貧乏でも豊かでもない。

南西には、同じアレラミチ家が治めるサルッツォ伯領がある。
この、モンフェラートのアレラミチと、サルッツォのアレラミチは、
家系図を見るとモンフェラート初代・アレラーモ(991年没)の時点で分家されており、別家扱いになっているのはやむなしである。

ちなみにスタンフォードブリッジのシナリオでも、この両家はここにしっかり根付いている。*1

1204年 ラテン帝国シナリオでの状況

1204年シナリオ開始時のラテン帝国周辺の状況は以下の通り。

2枚目.jpg

コンスタンチノープル近辺のみを抑えているラテン帝国に対し、アナトリア半島のビザンツ帝国(ラスカリス朝ニケーア帝国)に加え、
アカイア・アテネ・レッサロニキ・エピルスと、旧ビザンツ系諸侯がギリシャ一帯に乱立している。

史実においてはこの時期、モンフェラート候ボニファーチョは、新皇帝たるフランドル伯ボードワン9世と対立し、
テッサロニキ王国を建国するに至る一連の闘争を、ギリシャで繰り広げている。

だがなぜか本シナリオでは、引き連れていった一族郎党共々、イタリアにあるおうちに帰ってきてしまっている。

3枚目.jpg

ボニファーチョ。武力15が光る中々の武闘派。長男が現当主のグリエルモ。
兄弟の欄にいる国王はエルサレム王コンラート1世。その娘が現エルサレム国王のマリア。

ここからスタートというのはどうも釈然としない。

一方、翌1205年になれば、ボニファーチョはラテン帝国傘下のテッサロニキ公爵であり、5領を構える帝国最大の領主となっている。

4枚目.jpg

が、この時点で彼は既に50代半ば。嫡男はイタリア・HRE皇帝の直参として、モンフェラートに家を構えている。
そして、シナリオ開始時点でテッサロニキ公家は分割相続である。
つまり、ボニファーチョが気合で10年生きながらえ、かつ子供を作って、選挙法継承に切り替えない限り、
ボニファーチョ死後の相続関係で、2つの帝国を股にかけた予想困難な展開が待ち受けている。

以上の事から、ボニファーチョ生存時点でのアレラミチ家プレイは、テッサロニキ側・モンフェラート伯側いずれにしても面倒くさく、
ボニファーチョの死直後から始めた方が色々わかりやすい、と考えた。

よって、本AARの開始日時を、ボニファーチョの死直後の、1207年9月4日と設定した。

ん? 目次だけ見たら、ボニファーチョの時代から始めるのが筋じゃあないかって?
テッサロニキ王国建国時で40歳くらいだったらそうしたかもね。ごめんね。彼が年行ってるのが悪いんだね。ごめんね。

それでは初めていこう。モンフェラート候家10代目、グリエルモ6世の治世である。




Next:モンフェラート伯グリエルモ(1207~)


*1 筆者は最初のCK2プレイで、「あの」モンフェラート候だと全く意識することなく蹂躙していた。

添付ファイル: file4枚目.jpg 255件 [詳細] file3枚目.jpg 278件 [詳細] file2枚目.jpg 277件 [詳細] file1枚目.jpg 266件 [詳細]

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Last-modified: 2016-07-05 (火) 23:59:30