[[AAR/スクショで見る十字軍物語/バグラトゥニ家]]

*ヴォルガの戦い [#l4c24209]


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 アラニア公国より急使がくる

アラニア公国はグルジアのすぐ北に位置する国家で、グルジア王国の古い同盟国だった。

「Golden Hordeの弓騎兵がヴォルガ河を渡り、カフカース山脈に進軍中であります」

アラニア公国はビザンツの勢力圏である。
これを見捨てれば、モンゴルは次はカフカース山脈へ、そしてアナトリア半島からコンスタンチノーポリへ攻め上がってくるであろう。

1275年7月27日、イオアネス3世は軍を動員して、これを迎え撃つことを決定した。
14万を超える大軍がカフカースを超えて、ヴォルガのステップへと向かっていった。


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 キプチャクハンの一軍を捕捉


ビザンツ軍はアラニア領内で編成を整え、8000~12000
の規模の部隊にわかれて順次進撃を開始した。
1275年9月20日、ヴォルガ河東岸、カスピ海の北にキプチャクハンのモンゴル騎兵10000を発見。
イオアネス3世は、ビザンツ軍の斥候部隊に敵をひきつけて引き返すように命じ、敵に倍する兵力を国境地帯に用意したが、モンゴル軍はこれに応ぜず、ヴォルガ河を容易にわたろうとはしなかった。

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 キプチャクハン、ヴォルガ河を渡河

モンゴル軍がビザンツの大軍を警戒してなかなかヴォルガ河をわたろうとしなかったので、ビザンツ軍はヴォルガ西岸の地域を占領しはじめた。膠着状態のまま1275年は暮れ、1276年の春、雪解けをむかえる。
ここでアラニア公爵が功をあせって寡兵でUZEMSに突出、単独で城攻めをはじめたため、モンゴル軍の逆襲をくらう。
しかしモンゴル軍が釣れたのはアラニア公爵の予期せぬ手柄であった。ビザンツ軍はこの敵を殲滅するべく、近隣の軍にたいしてUZEMSに急行するよう命令をだした。

だがモンゴル騎兵の精強無比は想像以上で、13000の敵軍にたいして7000のアラニア公爵軍はほとんど被害を与えることができず、また時間を稼ぐこともできずに粉砕されてしまう。
すぐにビザンツ軍9000が駆け付けたが、アテにしていたアラニア公国軍が敗走していたため、数的劣勢の状態で戦闘に突入し、モンゴルに各個撃破を許してしまう。
キリスト教徒たちの陣営が崩壊寸前になって、ようやくさらなる増援12000が駆け付け、ようやくモンゴル軍は後退した。

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 1276年2月の戦線。モンゴル軍はヴォルガ河をわたって攻勢を開始。
 ヴォルガ川上流ではモンゴル軍13000の前にカザン公爵が苦戦をしいられ、
 ヴォルガ川下流ではモンゴル軍10000の前にアラニア公爵の部隊が崩壊寸前。
 これに対してビザンツ軍は城攻めのほかに組織した遊撃部隊で反撃を企図する。
 ヴォルガ川上流には23000の増援が、下流には12000の増援が急行。さらに後詰の26000の部隊も投入。

モンゴル軍は馬上から弓を射てこちらの士気を挫き、かつ接近戦でも比類なき強さを誇る。
千戸制をとって行軍中も家畜や略奪によって補給が可能なため、大軍でも消耗が抑制でき、迅速な作戦行動が可能である。

要するに、質ではかなわない。

ビザンツとしては、つねに数的優位を確保しながら作戦行動をおこなわなければならないのだ。

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 救援は間に合わず、アラニア軍とビザンツ軍はKryk-Uruで全滅する。

作戦に隙があると、すぐにこういうことが起こる。

だがアラニア軍はみずからを犠牲にして時間を稼いでくれた。
この間にビザンツ軍の増援は続々とkryk-Uruに集結する。

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 BURTASYとUZEMSで数的優位を確保。

アラニア公爵とカザン公爵の犠牲によって、モンゴル軍を包囲下に置くことができた。

両戦線で約二倍の戦力比をきずくことに成功する。
これだけあればいかに精強なモンゴル軍であれ、敗走せざるをえまい。

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 BURTASYとUZEMSのキプチャクハンの軍勢は敗走した。
 しかし東方からイルハンの援軍11000の姿が見える。

1276年5月、キプチャクハンはヴォルガ河の上流と下流でそれぞれビザンツ帝国軍に敗退、
このヴォルガ河のたたかいが歴史の転換点になった。

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 1276年8月の戦線。

夏にはいり、ヴォルガ河西岸のモンゴル領土はほぼすべて、キリスト教徒の手に落ちた。

キプチャクハンの軍勢は各戦線で敗走し、叛乱すらもおこっている。
カスピ海北岸ではイルハンの援軍がキリスト教徒たちに占領された城を奪回しようと試みたが、ビザンツの厚い防衛網の前にいずれ撤退を余儀なくされるだろう。

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 キリスト教徒たちはキプチャクハンやイルハンのモンゴル軍を撃退した。

勝負あった。

この「ヴォルガ河のたたかい」で、これまで破竹の快進撃を続けてきたキプチャクハンとイルハンの侵略は挫折することになる。

-[[その後]]



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