[[AAR/ラテン帝国を取り戻せ!]]

*モーリタニア王グリエルモ1世の治世 [#ka92c35d]

**1295年 ギリシャへ [#n25f4fa2]

1295年3月、ラテン帝国で大規模な内乱が発生した。

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アカイア・アテネ・テッサロニキの帝国3公のうち、アテネ・テッサロニキが結託、
帝国からの分離独立を求めて決起したのである。
既に皇帝直轄領は僅か2つ。ラテン皇帝は無力な存在と化していた。

さて。テッサロニキ公といえば、我らアレラミチ家の一族の家である。
数年前、その生涯を帝国に尽くした「鉄壁」のデメトリオが78歳で死去。
その名跡は、95年時点で22歳の三男、アンセルモが継いでいた。((長男は騎士修道会入り、次男はなんかやらかして眼摘刑の後死亡。))

だが一方、デメトリオの次女・アンセルモの姉アグライナは、婚姻でモーリタニア王の宮廷にやって来ており、
デメトリオの子供である彼女は、当然、テッサロニキ公位への強い請求権を持っている。

というわけでアグライナの請求権を用いClaim Thessalonika。さくっと攻城・占領、ついでに反乱軍も掃滅。
ラテン帝国テッサロニキ公領、もう一つのアレラミチ家は、無事本家の下に組み込まれた。

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 ギリシャ人の女公。婿はフランス人の「天才」持ち。

前テッサロニキ公は、公位とテッサロニキを剥奪され、カルキディケ伯として姉の臣下に。

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 こちらは何故かフランス人の元公爵。武勇20を誇る猛将。

ところで、彼は本AAR開始時のモンフェラート伯・初代アンコーナ公グリエルモの甥にあたる。
十字軍戦士にして初代テッサロニキ公ボニファーチョ→次男・「鉄壁」デメトリオ→三男・アンセルモ、と、
アレラミチの血筋を男系で繋げているのは彼の系統であり、血縁関係も近い。
また2代アンコーナ公ボニファーチョがその死の間際に残した長男は、女児2名を残して早世しており、
テッサロニキ公ボニファーチョの長男・グリエルモ系の男系は絶えている。

よって解釈次第では、彼アンセルモこそが正当なアレラミチの家長たるべき。という考え方もできる・・・だろうか。

また、彼の後継者のところに、モーリタニア王グリエルモ1世の顔があるのが分かるだろうか。
実は、何故かこのカルキディケ伯家は「年長者相続」になっていた。これが、彼の死後大きな事件の発端となるのだが・・・それはまだ半世紀ほど先の話。

**1297年 国王の特権 [#s75246f8]

テッサロニキ攻略を終え、次はピサがイタリア半島に唯一残す拠点・ピオンピノ市を攻めていると、不意にこんなことが起こった。

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先日、謎のスーザ公位奪取を成し遂げた弟、ウバルド。
その妻であるトゥールーズ公の息女のもとへ、国王が一戦交えに行っちゃったのだ。

元々グリエルモとウバルドは、スーザ公のde jure内であるモンフェラート伯領の帰属の関係から、関係は良くなかったが、この一件で両者の関係は完全に破綻。
「寝取られ男」補正でオピニオンは怒涛のマイナス100近くまで落ち込んだ。

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&size(25){やーいうちの弟Cuckolded!};

24にもなってまだ子供の1人もいないお前のために一肌脱いでやったのだ、怒るどころか感謝してほしいものだ。
とか開き直って20歳離れた弟を諭している様が目に浮かぶ。

なおこの1年後、スーザ公夫妻に待望の長男が誕生していた。&size(20){誰の種かは言うまでもない。};

**1300年 世紀末 混乱の年 [#p1cb3f45]

ピサ領ピオンピノ市を順当に併合し、ピサはアフリカに追放された。
後、攻めるところが無くなり、モーリタニア王国は沈黙を余儀なくされた。というのも、

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 ツェーリンゲン家の皇帝、ヘルマン2世。北アフリカ遠征を繰り返し、アフリカにモーリタニア王の影響下に無い帝国領を確保、
 またアルジェ公位をアレラミチ家の一族に与えることで勢力の分割を図るなど、アフリカでの影響力拡大に腐心した皇帝である。
 またアルジェ公位をアレラミチ家の一族に与えることで勢力の分割を図るなど、アフリカでの影響力拡大に腐心した皇帝である。
 子宝には長く恵まれず、彼の死後、ツェーリンゲン家の幼君には皇帝選挙で票が入らず、帝位は別の家に移行する。

実は95年、ムワッヒド家がチュニジアに唯一残していた拠点・ガベスを狙い、帝国本体が聖戦を布告。
これに対応し、最大動員力40000を誇るイスラム圏最大最強国家・アイユーブ朝がムワッヒド側に立ち参戦、
これに対応し、最大動員力40000を誇るイスラム圏最大最強国家・アイユーブ朝、さらにルームセルジュークまでもがムワッヒド側に立ち参戦、
北アフリカで、上のSSのごとく、万単位の軍勢が行き交う悪夢のような戦いが5年ほど繰り広げられていたのだ。

イスラムの主要国すべてが帝国と戦争状態に入り、モーリタニア王単独でイスラム圏に宣戦することはできず、
領有権捏造も上手くいかず、攻める土地が無くなったというわけだ。

そういうことでヒマになった直轄軍は、この頃、同盟者・トゥールーズ公の要請により、反乱鎮圧の応援に行っていた。&size(30){そのとき。};

**1300年 モーリタニア王の継嗣暗殺さる! [#h5bac3cd]

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&size(40){マジかよ。};

長男・モデナ公クレメンテ、若干29歳で暗殺死。モデナ公位は彼の嫡男、王の嫡孫に引き継がれた。
まあ、全体の継承計画に影響があるわけではない。次はモデナ公に継承させる計画自体はそのまま、引き継がせる相手が若くなっただけだ。
ぶっちゃけクレメンテは、そう良い君主になりそうでは無かったこともあるし、まあ、別に良い。

だが、暗殺した犯人がこの事件を複雑怪奇なものにしている。

犯人の中はキャサリン・デ・コンボーン。
前アンコーナ公グリエルモ2世の後妻、夫亡き後は実家に帰っていた、管理23を誇る天才にして女神その人だったのだ。

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 今だ才能衰えない57歳のキャサリン。息子を殺されたせいか、グリエルモ1世が彼女をライバル認定している。

いったい彼女に、クレメンテを暗殺するに至る何の動機があったのだろう? 

・現在のモーリタニア王グリエルモ1世は彼女の子でなく、前妻との間の子である。
・キャサリンの産んだ男子はモロッコの一角で伯をしている次男と、現スーザ公の三男である。

この状況だから、グリエルモ1世本人を狙って暗殺仕掛けてくるのなら分かる。
しかし、何故にグリエルモ1世の長男を狙って来たのか・・・? まさか、血筋を絶滅させるつもりなのだろうか。
女の情念は恐ろしい。そんなことを垣間見させるこのゲームには、いやなリアリティが満ち満ちている。( ´Д`)=3 フゥ

**1300年 混乱は続く [#h5bf5946]

1300年はモーリタニア王国史上でも稀に見る混乱の年であった。
なにしろ長男が暗殺された直後、評議会の権限拡大を求める派閥の人数が閾値を超え、

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モロッコ(のどこか)の伯を首魁とする1公1市長5伯、計10000を超える叛徒が蜂起したのである。

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 各地で蜂起。なお、アルボレア伯は事前に運よく「別件逮捕」できたため、反乱には加わらず。

アフリカで、帝国軍VSイスラム連合軍の戦いが続いているこの状況で、アフリカを中心とした蜂起とは間が悪すぎる。
これどう見ても、反乱鎮圧してるさなかにイスラム軍が突っ込んでくるやつだ。
ひとまず、アフリカ側の兵は出さず、半島の直轄領と諸侯の兵のみで、地中海北岸の叛徒を制圧するか・・・としたところ、11月に入った途端

**1300年 Crusade for Greece! [#y7ba9233]

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&size(30){このタイミングでかよ!};

余りにも間が悪い。この内乱真っ只中ではさすがに参戦できん。
と歯噛みしていたのだが、この時期イングランド・フランス・カスティリャといった諸王国はいずれもそれぞれの戦争を戦っており、
参加したのは見事に中小諸侯ばかり。ギリシャをガッチリ抑えるルームセルジューク軍にコテンパンにされてしまっていた。
後世、史上最低の十字軍・・・と言われたとか言われなかったとか。

ただ、ギリシャを手に入れる貴重な機会を逸してしまった・・・無念。

**1301年 揺れ動くスーザ公位 [#n3091f0a]

翌年6月、更に不思議なことが起きた。

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&size(20){弟ウバルド、スーザ公位を簒奪される。};

は・・・・・・?

簒奪者は、あの女傑サルデーニャ公アマーリアの嫡子。直前まで領地は持っていなかった。よって私戦ではない・・・というかさすがに気付く。
ちょっといったいどういう挙動でスーザ公位があっちへこっちへ飛んで行っているのか全く分からないのだが、
起きてしまったものは仕方ない・・・なんだろうなぁ・・・

この簒奪でウバルドは無位無官となり、妻の実家であるトゥールーズ公・・・ではなく、何故かシチリア王の下へ落ち伸びていった。なんでや。

また、このスーザ公、パニコ家のジョバンニは、このすぐ後に病死した母からサルデーニャ公も継承、
二公号・三伯領・一男爵領を直轄する大貴族となり、獅子身中の虫そのものと化した。うーん・・・

**1302年 死 [#gd8a6926]

さて。スーザ公の謎の継承事件によって、反乱からスーザ公が離脱。
02年には、イタリア・サルデーニャの叛徒が持つ所領の占領をほぼ済ませていた。

だが、アフリカでは下のSSの通り万単位の軍勢がぶつかり合う地獄絵図が続いており、ちょっと恐ろしくてアフリカ制圧軍を出せる状況ではない。

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 グリエルモ1世51歳。
 特性増加イベントや成長イベントが多発した結果、晩年にはかなりバランスのいい能力値になっていた。

早いこと和平してくれないかなぁ、皇帝にガベス取られるのは癪だから早いこと負けてくれんかなぁ・・・と考えていた02年5月17日。

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&size(40){死んだーーーーー!!!???};

incapableどころか、illもstressも無い、予兆無しの突然の自然死であった。いや驚いた。
またてっきり、いつの間にかどこかの軍の指揮官になってて戦死でもしたのかと思った。違って良かった。

こうしてモーリタニア王位は嫡孫であるグリエルモ2世に受け継がれた。
彼の治世はいきなり反乱鎮圧から始まる。
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